- 2歳3ヶ月より鷲見三郎氏に、同時に奥裕子氏、鷲見康郎氏に師事。11歳より江藤俊哉氏に師事。
- 1972年 全日本学生音楽コンクール小学生の部東日本2位。
- 1973年全日本学生音楽コンクール小学生の部全国1位優勝。
- 1975年 第1回「若い芽のコンサート」でN響と共演し12歳でプロデビュー。TBS系「オーケストラがやって来た」にレギュラー的に出演したり、オーケストラのソリストとして各地をまわるなど多忙な演奏活動が始まる。
- 1977年 第46回日本音楽コンクールに最年少15歳で優勝、レウカディア賞受賞。
- 1979年 第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞。手塚治虫アニメ映画「火の鳥2772」の音楽を演奏し話題となる。
- 1984年 オーストリアのリンツ、ドナウ河において巨大ステージが組まれ「冨田勲・マインドオブユニバース」のイベントに参加。8万人の聴衆が集まる中、ステージ代わりのヘリコプターや船に演奏家が乗り、音楽における「未知との遭遇」を繰りひろげた。その模様は全世界に放映され大反響を受けた。
- 1986年 ニューヨーク“自由の女神”100年記念コンサートとしてドナウ河同様ハドソン川に巨大ステージが組まれた「バック トゥー ジ アース」のイベントに参加。10万人の聴衆を魅了した。
- 1985年慶応義塾大学文学部哲学科卒業後、指揮者故ジュゼッペ・シノーポリに認められ、 1987年フィルハーモニア管弦楽団定期演奏会でロンドンデビュー、88年サンタチェチリア音楽院管弦楽団定期演奏会でローマデビュー。
- 1986年~2001年 ビクターと専属契約を結び、年1枚のペースで協奏曲やソロのCDを発売し、数々のヒット賞を受賞。
- 1986~’88年NHK大型報道番組「世界は今」で磯村尚徳氏と共にキャスターを務め各国の文化情勢をレポートし話題となる。 デビュー15周年を機に1990年より、自身のプロデュースによるリサイタルを開催し、『イザイ無伴奏バイオリンソナタ全6曲全曲演奏会』『バッハ無伴奏ソナタ&パルティータ全曲演奏会』『パガニーニ:24のカプリース全曲演奏会』『モーツァルト バイオリンコンチェルト全曲演奏会』を一夜で演奏するなど、日本各地やロンドン、プラハでも記念演奏会を行う。国際交流基金による文化大使派遣演奏会をブラジル、チリ、ウルグアイ等で、また’98年にはウズベキスタン、キルギス、カザフスタンで演奏会を行い、音楽による国際親善を努めた。また20周年を機にホスピスや老人ホーム、身障者施設、孤児院など限られた施設から外に出ることの出来ない方々に対する訪問ボランティア演奏を地道に行うなど、独自のボランティア活動にも取り組む。
- 1998年8~11月 NHK 教育テレビ「趣味悠々」のヴァイオリンの講師を務める。 一方、日本音響学会に属し、橘秀樹教授(東京大学生産技術研究所)のもとで、橘研究室研究員としてステージ音響の研究に参加、国際学会における論文発表や講演会も精力的に行う。 1993年それまであまり演奏機会のないイザイという作曲家、演奏家の存在を世に知らしめた功績は大いに評価され、文化庁「芸術作品賞」受賞。1994年度村松賞受賞。1995年モービル音楽賞奨励賞受賞。 1997年、全米でCD『パガニーニ:24のカプリース』を発売。
- 1999年 ニューヨーク・カーネギーホールのウェイル・リサイタルホールにて、ソロ・リサイタルを開き大成功を収める。 4月よりNHK教育テレビ「ボランティアまっぷ」の司会を務める。
- 2000年 三兄妹として初のコラボレーションコンサート『音楽会の絵』を行う。またデビュー25周年記念CD『無伴奏ヴァイオリンの世界(4枚組)』。『ナポリに響くアリア』を発売。著書に『ふだん着でトーク』(音楽の友社)、『生命が音になるとき』(日本機械学会オーム社)『聞いて、ヴァイオリンの詩』(時事通信社)、『母と娘の協奏曲』(時事通信社)。また『生命が音になるとき』は、98年より高等学校用国語検定教科書『高校生の国語Ⅰ改訂版』(明治書院)に掲載される。
- 2001年 NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の音楽を兄の千住明氏が担当、千住真理子が演奏し、全国で注目を浴びる。
- 2002年秋、幻の名器ストラディヴァリウス「デュランティ」との運命的な出会いを果たし話題になる。
- 2003年8月に東芝EMI(現ユニバーサル ミュージック)より移籍第1弾となるCD『カンタービレ<歌うように>』発売、「レコード芸術」10月号特選盤に選ばれる。
- 2004年、東京国際空港羽田第2新ターミナルに千住博の絵がかけられ、千住明作品『四季』が千住真理子によって演奏され、その音楽はエンドレスに流されるようになる。そのCDは『千住プレイズ千住』として発売。(東芝EMI:当時)
2005年はデビュー30周年を迎え、全国でベルリン室内管弦楽団と共演。また記念アルバム『バッハ バイオリン協奏曲全曲集・愛のコンチェルト』発売。一方、NHKアニメ番組「雪の女王(アンデルセン)」の音楽を兄の千住明氏が担当、千住真理子が演奏し話題となる。 - 2006年2月にはドイツ・ヴェルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団と共演した。2007年2月~3月にはスロヴァキア室内オーケストラ、および小林研一郎率いるオランダ・アーネム・フィルハーモニー管弦楽団と全国でツアーを行ない、好評を博した。
- 2008年には、1月にプラハ交響楽団とのツアー、6月~7月にラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とのツアー、11月~12月にスーク室内オーケストラとのツアー(前半は千住明氏も指揮者として参加)を成功させた
- 2009年2月にCD 「ヴィヴァルディ・四季」 および日本人アーティストとして初のクリスタルCD (ガラスCD) 「G線上のアリア」 を発売。(EMIミュージック・ジャパン:当時)
4月からNHKラジオ 「Tea For Classic ~クラシックでお茶を~」 でクラシックの魅力を紹介。落ち着いた語り口とわかり易い解説はクラシックファンのみならず幅広い層のリスナーに支持を得ている。
7月に 「聞いて、ヴァイオリンの詩」 の続編 「歌って、ヴァイオリンの詩2」 を刊行。7月から8月にかけてピエロ・トーゾ率いるイタリアの名手たちとのツアーを行い、聴衆を魅了した。 - デビュー35周年を迎えた2010年は、1月にプラハ交響楽団との共演、12月にスーク室内オーケストラとのツアーを行い全国各地で賞賛を得た。東京と大阪ではバッハ無伴奏ソナタ、パルティータ全曲演奏会を開催し渾身の演奏を披露した。CD最新盤「心に残る3つのソナタ」は、デュランティによる本格的なソナタ集としてDVD付で発売。なかでもモーツァルトのソナタはレコード芸術誌において「苦難や悲しみに立ち向かう強い意志のようなものが決然と浮かび上がる」と評価された。
- 2011年2月、横浜みなとみらいホールにおいてメンデルスゾーンとチャイコフスキーのコンチェルトを連続演奏。5月、東京オペラシティコンサートホールでの東日本大震災 復興支援チャリティコンサートで演奏。終演後ロビーにて募金の呼びかけを行う。当公演の後半には天皇皇后両陛下がご臨席された。 5月から9月まで慶應丸の内シティキャンパスでクラシック音楽を楽しむための連続講座を開講。秋にはボランティア活動として、岩手県陸前高田市、大船渡市、仙台の仮設住宅、保育園、中学校、老人ホームで演奏した。10月に36年のキャリア中で初めて「日本のうた」を豪華作曲家陣のアレンジで発売、続いて新譜CD「アヴェ・マリア」を発売しランキングトップを記録した。12月発売の文藝春秋誌上に、「千住真理子・母のがん手術、命の往復書簡」を発表した。
- 2012年2月、ドヴォジンスキー指揮のワルシャワ・フィルとともに全国ツアーを行い、6月にはミラノ・クラシカ合奏団と共演。10月には京都上賀茂神社「細殿」において世界遺産コンサートを開催し好評を博した。春・秋には岩手県の宮古市・陸前高田市・大船渡市の被災地を巡り中学校・病院等で慰問演奏を行った。12月にデュランティーとの出会いから10年、EMI移籍10年、デュランティーで録音した10作目のアルバムとして「愛のクライスラー」を発表した。
- 2013年は1月にプラハ交響楽団、12月にはスーク室内オーケストラと全国ツアーを開催し各地で好評を博した。
闘病中の母 文子と交わした書簡集「命の往復書簡」を4月に刊行(母 文子は闘病の甲斐も虚しく6月27日に永眠)。
7月から半年間 日本経済新聞「あすへの話題」に連載。11月、デュランティーによる11作目のアルバム「センチメンタル・ワルツ」を発表(自身初のHQCD)。
春・秋には仙台、気仙沼、宮古などの被災地を訪問し精力的に演奏を行った。 - 2014年は、6月にハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団とのツアー行い、11月には最新アルバム「千住真理子ベスト」をリリース。
- 2020年はデビュー45周年を迎えた。
デュランティとの出会い
クラシック音楽に詳しくない人であっても、必ず聞いたことがあるヴァイオリンの名器、「ストラディヴァリウス」。
イタリア北部、クレモナの弦楽器製作者アントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737年)が製作した楽器のうち、特にヴァイオリンの完成度の高さは世界中で群を抜く。 ストラディヴァリウスと呼ばれる楽器は、ヴァイオリンに限っても数百本が確認されている。しかし、その中でも傑作と言われる楽器は十本程度に過ぎないといわれている。 例えば、イギリスのオックスフォード博物館に収蔵されている「メサイア」や、イタリアの国宝「メディチ」などである。
こんなストラディヴァリウスの中でも最高傑作のひとつ「デュランティ」を、千住真理子が実に運命的な出会いによって入手することになった。
このデュランティの最初の所有者はローマ法王”クレメント14世”であった。法皇没後、フランスの貴族の手に渡り、1921年スイスの富豪の元へ。そして2002年スイスの富豪が手放すことになった。 その際に「博物館などではなく実際に演奏してくれる人へ」という条件がつけられた。 さっそくデュランティにふさわしいヴァイオリニストがリストアップされ、その中に千住真理子の名前が上がったのである。
運命的な出会いについて、千住真理子は言う。「デュランティとの出会いで、私はまたゼロからの出発点にたった。 今まで演奏してきた全ての音楽は無いのに等しい。これからが私の本当の音楽人生なのかもしれない。」と。
千住真理子がデュランティとの出会いを振りかえってみる。 2002年7月にスイスにいる知り合いから突然電話がかかってきました。
「良い音のストラディバリを見つけた。見てみたくないか?」といわれ「見てみたいけど忙しくてそちらに行けない」とはなしました。 内心ではそのとき持っていた楽器に満足していたので今さら別の楽器に代える気はなかったのです。 話のはずみで「見てみたいね」とはいってしまったものの、まさか日本に持って来るとは考えもつきませんでした。 その楽器を見たがった5人のヴァイオリニストが各国一人づつリストアップされ、私の順番は4番目。 それぞれに条件がいくつか出され、それをクリアしなければならず、また私のまえに誰かが決めてしまえば私のところへは来ません。 それから3週間たったある日、目の前にこの楽器があらわれました。私はイチコロでした。 楽器の由来は実は初め何もきいてなかったので、ただのストラディバリだと思っていました。 名前が付いているらしいと聞いたのは、楽器を手にして一か月後。さらに由来については3か月後に知りました。 最初の所有者はローマ法王”クレメント14世”であり、法皇の没後200年間フランスのデュランティ家の家宝として納められ、その後80年間スイスの公爵のもとにあった、と。しかし私はこの楽器の由来に惚れたのではなく、音に惚れたので、由来をきいたとき「例えば男性を好きになって付き合いはじめたあとから、あの人は実は王子様なのよ、と聞かされた感じ」です。 私の手元に来るまで、ほとんど弾かれたことの無い楽器だったので、自分の弾いた音がそのまま伝わります。 いままで使っていた楽器とは、音の出し方、音楽の作り方、すべてを変える必要がありました。 今までのような小細工は利かずむしろ邪魔です。 何もかも、ゼロに戻って1からやり直すことになりました。人生観もかわりました。 私のところにきてくれた楽器にたいして、誠意を持って接するために、 全身全霊をかけたい。私の今から先の人生すべてを、音楽にかけてもまだ足りないくらいだと思います。 必死になって私のすべてをヴァイオリンに捧げているところです。