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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2024 年 10 月
水中回想

いまだに続けられているスポーツとして水泳がダントツだ。ウォーキングはスポーツというわけではないから別にして、たまに縄跳び、たまにジョギング…。私が日常泳ぐのは、身体のコンディション維持のためだ。
週に何回、と決めているわけではなく、ジムにあるプールへ、行ける時に行ける時間に泳ぎに行く。
それが起きてすぐの7時だったり、コンサートを終えて帰宅してからの22時半だったりもする。
え?コンサートのあと?と知り合いに驚かれたが、もちろんクタクタに疲れている時だ。這うようにとにかく行こう、と。そこまでして行かなくても!と思われそうだが、これは演奏活動を維持ための身体のための欠かせないルーティンとなってあある。
ヴァイオリンを弾く姿勢は左右アンバランスだから、弾き終わったままを放っておくと、翌日の肩こりや筋肉痛、頭痛に繋がることが多い。なので可能な限り水の力をかりて身体のアンバランスを調整しなければならない。
激しい動きをしたコンサートの後は、ワインでも飲んでグッタリしながらくつろぎたい。が、自分に語りかける。
「いつまでも弾き続けたいのなら、泳ごう。ほんの少しでもいいから水に浮かんでこよう」と。
果たして、てくてく歩いて約10分、この歩いてる間も何回も「ここまで歩いたけど帰ろうかな、、、。んー、、、でも私は弾き続けたいな、、、だったら少しでも泳いだ方がいいな」と自問自答しながら、、、。
やっとジムに辿り着き、だるい筋肉を持ち上げるようにして水泳着に着替え、、、着替えながら「このままシャワー浴びて帰っちゃおうかな」と往生際の悪い私がまだ居る。その考えを振り切って軽くストレッチ、、、このストレッチの段階でもまだ、「ここでやめて帰ろうかな」と。しかし行動は淡々と泳ぐ方向へ向かう。

さて、やっとプールへ!
さあ、25メートルでもいいのよ、と自分に語りかける。とにかく泳ぎ始めること。
しかしプールの大きさが片道25メートルだから向こうまで行ってプールから上がるほうが当然面倒だ。行ったら帰って来なきゃ。だから最低50、と思う。
しかしここで私の泳ぎルールは、
「クロールで(25メートルの向こうまで)行って、平泳ぎで帰ってきて、背泳ぎで行って、平泳ぎで帰る」これがワンクールで泳いで行くので、そうなると最低2往復100メートルになる。
100メートル泳いだところで、やめても良いのよ、でもまだもう少し行けそうだね、と大抵思う。
自然と4往復泳げている。

そのあたりから、「今何往復泳いでるかどうやって数えるか」独特の数え方がある。
それは「年齢」だ。
5往復目は5才の時の自分を思い出しながら。
10往復目には10才の時の自分、12才でデビューしたな、14才の夏休みは特に練習に燃えてたな、、、と。
想い出を頭の中で描きながら泳ぐのは楽しい。毎回やってると、忘れていたことも思い出す。
20往復、40往復、、、。今の自分の年齢まで泳ぐのにはかなり体力も持久力も必要だが、過去の自分に向き合うステキな時間になる。
なんだかまるで、自分の人生を何度も経験しているような懐かしさ。愛おしさ。命のありがたさ。周囲の人々から受けた優しさや思いやりにも改めて感謝の念が沸き起こる。

だから、また改めて演奏活動も頑張って行きたいなと思う。これから先に出会うだろう方々が、今後こうやって水中の回想にきっと何度も思い出されることを考えると心が暖かくなる。
私にとって、泳ぐって、そういうことなんだ。