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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2026 年 10 月
不自由な幸福

これだけお天気が荒れていると、秋だ春だと季節を味わえない。それどころか、危険さえ感じながら過ごさなければならないことがストレスフルになってきている。
ストレスが多ければ気持ちが安定しないから、人と人のコミュニケイシヨンが円滑に行かなくなるのだろう。ちょっとしたことで諍いが起き戦争は止まらず、意味不明の事件によって誰かが命を落としたり、邪悪な考えの元から考えられないような詐欺事件が多発‥‥。
そうなると、他人を信じることが出来ない世の中に変化していってしまう。
都合悪くAIが進化し続けている結果、AIを使った騙しや犯罪が横行して、ますます見るもの聞くもの信じることが出来ないどころか、「先ずは疑え」という前提が成り立ってしまう。
そのAI、ちょっと前までは「便利だねー」と穏やかに会話の中に入っていた話題も、いやまて、これはちょっと、笑ってられないぞ、となってきた。AIが成長し過ぎて暴走、とことんやり抜いてしまうことからの弊害が取り沙汰されてきた。人類が危ない、と世界中の専門家たちが警鐘を鳴らし始めた。
本当に怖いことになってきたのだ。
過去の時代が羨ましい。
江戸時代とまではいかなくても、たとえば昭和の時代は、なんかとても良かった。
電話は黒電話、気持ちの交換はお手紙やお葉書、電車の改札口に駅員さんが紙の切符を切るためにガチャガチャ特殊な切符切り道具を手にして、クルクル回したりなんかして、それがカッコいいなと思った。
学校の図書室にはたくさんの本、調べ物がある時はみんなその図書室に行って何時間もかけて自分で調べたし、漢字を知りたい時には分厚い辞書の薄い紙をペラペラめくって調べるのも楽しかった。そんな分厚い辞書は一人ひとりみんな持っていて、自分の辞書が使い慣れてくるとボロボロになって、それが嬉しかった。
電話で好きな子と話がしたいと思うと、ドキドキしながらダイヤルを回して、緊張してやっぱりやめた!とダイヤルの途中で受話器を置いたり、電話がかかっても本人が出ることはまずなくて、親や兄姉などが出てきて それも怖かったりした。
全てが、良い加減で、不便だから良かった。
こうしてエッセイを書いてる私も今スマホで文字を打っている。スマホで移動の乗車券も予約するし、それはとても便利だと喜んでいるわけだ。スケジュールなんかも前は手帳に書き込んでいたが、今はこのスマホだ。メモを残すのもスマホだし、最近はなかなか文字を書く用途がない。
コロナ禍を境に私もスマホへ乗り換えたのだが、それまでは「絶対ガラケーから先には行かない!なんだったら黒電話に戻りたいくらいだ!」と踏ん張っていた。‥‥が、そんな私も世の中に負けてしまった‥‥。
確かに便利だ。
だけど、ふと、自分自身の内部にあるさまざまな細かい感性が徐々に劣化していくような怖さを感じることもある。
スマホやPCがここまで浸透すると、最近の子供達はスマホやPCを言葉を話すより先に手にしている。
その中で親の見えない世界が展開して、時に犯罪にも巻き込まれてしまう。最初に書いたようなストレスフルな世の中によって、必要のないイジメや騙し、詐欺や犯罪‥‥。

そんな現代の中で、楽器を触る。
ホッとする。
何百年も前の木材で作られた弦楽器。
湿度や温度の微妙な変化で、音がきれいに鳴らなかったり弾きにくくなったりする。でもそれがいい。
ヒツジの腸が使われた弦や弓にはられた馬の尻尾、尻尾に塗りつける松のヤニ。空気が変わると松のヤニが上手く馬の尻尾に馴染まなくて、はじいてしまって、困ることがある。だからとてもケアが必要になる。
馬の尻尾で弦を擦ったときの摩擦で発する音の、なんと有機的な感覚か!しかし湿度の高い場所で弾くと、摩擦がうまくいかなくて音色がひっくり返ったり潰れたりすることがあり難しい。
しかし、生き物と語り合う心地よさが、”ヴァイオリンを弾く”という行為に、ある。
その先には自分自身の身体の奥底から込み上げる魂の声を、聴いてくださる方々に伝えることができる。
言葉では伝わらないような想い、文字にできない感情、ましてやスマホやPCなどでは到底伝えられない心の奥の複雑な気持ち。
ステージの上は、時代が無い。