このところ四季折々の季節感がなくなってきた、ということはおおかたの皆様が感じていらっしゃることだと思う。
少なくとも私が幼い頃は、未だ日本に四季があった。
横浜は青葉台という静かな住宅地に住んでいた私たちの、我が家の裏には小さな山がまだ開拓されずにあった。
山犬がいたり、狸もいて、蛇も普通にいた。
夏になれば蝉を捕まえようと兄たちと山を探検したり、春のうららかな花や草木の匂い、秋の寂しさを肌で感じ、冬に雪が積もると雪だるまをいくつも作って遊んだ。
四季がなくなった。
自然が怒ってるような気がする。激しい雷鳴、異常な豪雨、そして犠牲者が出るという悲しい現実。
自然の怒りは地を唸る巨大な地震からも感じられて、その恐ろしさに身が震える。
ヴァイオリンの演奏家である私は、愛する楽器ストラディバリウス・デュランティを守ることに必死になってる。
元々温度湿度の一定していたイタリアのクレモナ地方で約300年前に生まれた名器ストラディバリウス。
乾燥したヨーロッパの気候と異なり、高温多湿の日本にはるばるやってきてくれたデュランティのために、「私はあなたを守ります」とデュランティに誓って一緒にコンサート活動を行なってきているわけだが、守るにも限界がある。ほとんどノイローゼのようになって、朝目が覚めるとデュランティの様子をチェックしている。いちにち中、一番よい状態にできるよう温度も湿度も、鳴り具合も確かめる。
激しい天候下においても決められた日程に予定の時刻の開演で、当然、演奏会は行われる。
その日のコンサートホールの場所まで、何があってもなんとかたどりつかなければならないが、楽器を危険にさらすわけにもいかないので悩む。ニュースの気象情報に釘付けになり、自分なりに予想を立てて、さまざまなシミュレーションを行う。早めに家を出ようか交通手段を変更しようか、コンサートホールの空調はどうなっているだろうか、気に留めることは次々に出てくる。
無事に演奏会が終われば家にたどりつくまでがまた悩ましい。天候悪化によって新幹線が運休になったり、または乗ったまま止まって動かなくなったりする。飛行機もまた空港についてみて飛ばないことがわかったり、何とか乗れてホッとしたのも束の間、引き返してしまうこともある。どこかに泊まらなければならず急いでマネージャーに電話をかけ、泊まれるホテルを探してもらう、なんてこともある。
楽器を守ることに専念しながら、いちにちがやっとどうにか終わる時、ふとその日の聴衆の方々の笑顔を思い出す。ステージの上からは皆さんの表情がよく見えるのだ。
嬉しそうに笑って懸命に手を叩いてくださっていた姿、何処からか聞こえたブラボーの声、そのうちスタンディングオベーシヨンの方々、‥‥、私の疲れなんか、いきなりどっかへ飛んでいく。
何をおいても、このデュランティと共に作り上げた音楽の時空間が、聴いてくださった方々の喜びや癒しや慰めにつながったのだったらこんな嬉しいことはない。楽器を守って何処までも。私を望んでくださるなら何処へでも飛んでいきたい、と心が震える。
ステージの上から見えた方々の笑顔を思い浮かべ、私は布団に入る。
ずっしり身体が溶けるように眠気の底へ落ちていってその日が終わるのだ。
四季がなくなってきた。でも‥‥、
四季は音楽の中に、ある。
四季折々の美しさは、ヴィヴァルディの世界にあり、ドビュッシーの世界にあり、クライスラーの世界にあり、多くの名作曲家の作品に残されている。
そして‥‥、日本の歌の中に、ある。
荒城の月、ヤシの実、浜辺の歌、赤とんぼ、ふるさと、ゆうやけこやけ、この道‥‥。日本の歌の中に存在するこれらの景色は、永遠に”そのまま“在るのだ。懐かしい私たちの大切な土地の匂いが永遠に”そこに”在る。だから私はこれからも、日本の歌(クラシックバージョン)を弾く。世界の四季を弾く。
美しい地球を取り戻すように、世界中の素晴らしい名曲を、弾く。