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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2026 年 5 月
ブーニン 天才の絶望と栄光

スタニスラフ・ブーニン。19歳でショパン国際コンクール優勝の天才ピアニスト。
初めて会ったのは1986年、ブーニン20歳、私が24歳の時だった。
当時ブーニン大フィーバーを受けて、モスクワにブーニンを訪ねた。私自身も丁度演奏活動をやめていた時期から再開へ踏み出した時。キャスター磯村尚徳さんの隣で報道番組の中の文化面を担うお手伝いを始めたばかりだった。
モスクワへNHK報道番組の取材する側として出向いた私は、カメラマン、音声スタッフと番組ディレクター、そしてコーディネーターと共にブーニンを訪ねた。内容としてはインタビューと共演(チャイコフスキーのメロディ)という流れだった。
当時ソビエトの厳重な管理下にあったピアニスト・ブーニンは、言葉一つを発するにも周りの監視者のチェックが入りながら、のことだった。かなり緊張した面持ちで単語を選んで声に出しているような、ピリピリした空気を感じた。
とても繊細なブーニン、ピアノを奏でれば自在に解放的表現を音にする天才肌、、、それが私の持つブーニン像だ。
あれから40年。
ブーニンフィーバーのあと亡命したらしいという噂は聞いていたし、日本にも住居を持ったことも噂で聞いていた。
それでもブーニンの名前をしばらく聞かなくなって10年くらい経つだろうか。最近の学生さんたちはブーニンをどの程度認知しているのだろう、と考えていたところ、
『ドキュメント映画をやってるわよ』と友人から教えてもらって、時間を見つけて早速行ってきた。
驚いたのは、身体にトラブルを抱えて歩く白髪ブーニンの姿だった。
スクリーンに映し出されたブーニンは、すっかり老紳士になっていた。
静かな佇まい、やっと歩けるほどの歩行を右手に持つ杖が助けている。「私は今、ただ年老いた男だ」と静かに話して、哀しげに微笑む。

あの20代のとき、アイドル底抜けの人気はブーニンを国技館でリサイタルを行わせるほどだったのだ。若い女の子たちの圧倒されるような声援、いや声援なんてものじゃない、あれば叫び声だった。しかしそれが当たり前のようなブーニンフィーバーの時期があったのだ。
そのことを想うと、まるで表と裏のような、スクリーンの中の彼の姿。壊死したと医師が説明する左足、”その部分”を切断したために短くなった”代わりの長さ”を、特注の分厚い靴底が補う。
当初痺れて動かなくなった左手は、使い過ぎによる、いわば関節の摩耗のようなものだった、という。
演奏活動を休止して9年。長い。
ブーニンはしかし音楽を愛していたし、ピアノを奏でたい心は残っていた。自然と、その指をテラスの欄干に動かしている。
その姿をそっと見ていた夫人、榮子さんの後押しによってブーニンは再びステージへ戻ろうとする、その苦悩の道をカメラはたどっていく。

弾けたはずの音が弾けない。
天才と言われた演奏そのものが、丸ごと身体から奪われている。左手ももとのようには動かず、左足は分厚い靴底の下からペダルを踏まなくてはならない。もとのように演奏することは不可能な身体にブーニンは絶望しながらも前を向く。
これはフィクションではない、ドキュメントだからこその迫力と感動、ブーニンの心がそのまま見えてくるようだ。
『自分の弾きたい音楽があるのに、弾けない。すぐそこにあるのにこの手に届かないんだ』悲しく微笑む。『僕はそのうち自分のためだけに弾くようになるのかもしれない』時に弱気になりながら、そしてまた鍵盤に向かう。
何回も映し出される練習風景では、弾けないと苦しみ絶望し、泣きそうなブーニンがそこにいる。
何回も流れてくる本番のステージでの演奏姿も、必死に奏でようとするピアニストの苦悩が映し出される。そして演奏後の『どの曲も弾けなかった。まだまだ熟練が必要です』とのことば。生きていることが苦しみだとつぶやくように語る彼の表情、いたたまれない。
ピアノに向かって魂を絞り出すような表現、しかし時折力強い響きが会場全体に鳴り響く。彼の心底にある誇り、なのだと思う。
ショパンの『雨だれ』を弾いている時の演奏中、彼の顔が大きくアップにされると、絶望を音の中に感じながら尚も紡ぎ出す”向かっていく”彼の心が見えてくるのだ。
私は涙が止まらなかった。

『完璧に弾けなくとも、人に感動を与えられる美しい演奏がしたい』と、ブーニンはつぶやいた。
私は心の中でブーニンに語りかけた。
“私は感動しました、ブーニン。
あなたの存在そのものが音楽、あなたの細胞そのものまで音楽なのです”