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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2026 年 4 月
春の優しさ

春になると思い出す。
幼稚園へ通う道すがら、母と手を繋いで歩いた桜並木。
足を高くあげながら飛び跳ねて踏んだスキップ。

タッタラッタター、タッタラッタター🎵

母の即興による歌声は今でも忘れない。
ウキウキするそのリズムに乗って、私は益々膝を高く高く上げながらスキップのステップを踏む。きゃっきゃと笑いながら母の手につかまって飛び上がるあの時の、たおやかな日差しと幸せな心が記憶に刻まれている。
母の手はふかふかしていて暖かくて、私を守ってくれる優しい手。その手を母は私のスキップに合わせて上下に大きく弛ませながら、それはまるで母が共にスキップをしてくれているような楽しい気持ちになったものだった。
時折ふく風はゆるりと頬を撫で、桜の花びらがひらひらと舞って、肩に帽子にふわり着地する。淡いピンク色の薄く繊細な桜の花びらを、私はそっとハンカチに包んで大切に持ち帰った。

春は私が生まれた季節でもある。
おめでとう、という明るい言葉の響きと共に、きっと何かいいことがある、という根拠のない予感が私をワクワクさせた。
それは幼稚園や小学校、中学校、高校大学の新しい年度の始まりや入学式にも重なって、
ドキドキする緊張と日差しと共に差し込んでくる希望の気持ちは、年々心の中に刻まれ、重なり、積もってきた。
年齢と共に悲しみの記憶や絶望感を残した春を経験すると、風に散る桜の花びらに胸を締め付けられるような切なさを隠せなくなってきた。
希望と絶望、喜びと悲しみ、入り交じった心模様は周りの人になんだか優しくしたいと感じてしまうのだ。
気温も暖かくなって道端に残っていた雪解けが始まり、それまでに嫌なことがあったとしても、悩みや苦しみがあっても、春はリセットの季節のように感じてきた。日差しもますます穏やかに、希望という言葉が浮かんでくる優しい季節ー。

昨今の気候変動で、四季折々の移り変わりに心を預けることがなかなか出来なくなってきたように思う。加えて世界情勢の悪化、いつまでも終わりが見えないむごい戦争、それは紛れもない殺し合い。ニュースで映し出される破壊された建物、灰になった美しかった街、嘆き悲しむ人々、呆然と立ち尽くす傷だらけの子供の姿、、、。
ニュースの場面が変わって、日本で桜を愛でる私たちの姿が客観的に放映されると、とても心苦しい。桜が満開に咲いて優しい気持ちになるほど、こうしている今も戦禍で苦しむ方々に対して申し訳ない想いがふつふつと湧いてくる。
世界中の人が花を愛でて、音楽を楽しみ味わい、たおやかな風に包まれる当たり前の日常が一刻も早く戻ってくることを、心から願ってやまない昨今、春の始まりとなっている。