ヴァイオリンというと、やはり楽器本体のことなので、弓についてはなかなか注目されない。
弓というのは、楽器を擦ってるあの”棒“のことだ。見るからにただの木の棒、と見えるのか、あの細い棒で何か違いがあるのか?とよく質問を受ける。そう思われても当然かもしれないほど、見た目にたいした違いはない。
楽器の王様、または女王がストラディバリウスであれば、弓もそれに当たる素晴らしい古弓があり、それをトゥルテという。トゥルテはフランスの弓製作者の名前でフランソワ・トゥルテと言い、やはり2〜300年も昔の人だ。そんな昔に作られた弓が、楽器のように今や希少価値が上がっているのは、同じレベルの弓がなかなか製られないから、ということになる。
なんとかく一般的には、もしストラディバリウスがあれば、それを擦って音を出す方の弓は、まあどんな弓でも良いのでしょ、と思われがちかもしれない。が、実は弓こそが繊細な表現を自在に操れる魔法の棒なのだ。
私がそのことに気がついたのは15歳の頃だった。
恩師であるヴァイオリン界の巨匠・江藤俊哉先生からこう言われた。
「あなたはたいした楽器を持ってないからね、それ以上の“音色の変化“は難しいでしょうねえ。僕の要求する“音色の変化“を研究して欲しいから、この弓を使いなさい」
おもむろに楽器ケースから出された弓は、その“木の棒“自体が艶々に光っていて、私の持ってる弓よりもずっと細く、反りがあった。折れてしまいそうな細さの弓の真ん中がキュッと反っていて、その先のほうが更にもっと怖いほど細くなっていた。見るからに繊細なその弓を、先生から手渡される時、手が震えた。間違って落としたら大変なことになるという緊張から、身体が固くなったのを覚えてる。
何しろ弓はとても折れやすい。先の方の細くなってる部分が特に、ほんの少しの衝撃でもポキッと折れてしまうことがあり、その衝撃というのは例えば飛行機の振動や車の振動などでも波長が合ってしまうと折れてしまうタイミングに重なってしまう、と聞いたことがあった。一度折れたら例え綺麗に繋ぎ合わせても元の音色は出せない。
その折れやすい繊細な弓を、中学生の私はその手に取り、当時なんの名前もないような楽器を鳴らしてみたときの驚きはなかった。
弓から伝わる振動がそれまで味わったことのないような細かい震えとなって右手に伝わる。その震えが「楽器に張ってあるガット弦(羊の腸)」に確かに伝わっていて、一音いちおん、確かにキューティクルの摩擦をこの右手に感じた。その感覚は右手の指、一つ一つに伝わり、この時はじめて、先生の要求がわかった瞬間だった。それは何かと言えば、先生は
「右指の薬指を意識して音色にコクを持たせて!」とか
「ここは右手の人差し指が力を加減すれば音色が変わるはず」とかおっしゃっていたのだ。
その意味が全くわからなかった私は日々研究するも、なかなか江藤先生のOKがもらえなかったのだった。
そうか!このことだ!
私は見えてきた感覚を知って、とても興奮した。
新しい扉を発見したような希望が現れて、右指の一つ一つの役割を意識しながら演奏する楽しさに夢中になった。
さてあれから50年近く経つ今、私は弓を4〜5本持っている。
それぞれが個性があり、その特徴がストラディバリウス・デユランテイの様々な音色の表情を多種多様に引き出す素晴らしい相棒になっている。
弓はコンサートホールによって変える。
ホールの響きとの相性がまたとても大切になってくるのだ。
何本か持って行きホールで弾いてみると、例え毎年弾いてる慣れたホールでも、季節によっても相性の良い弓が変わるのだ。
温度や湿度によって変わってくるのは楽器のみならず、弓もまた、である。そして楽器のコンディションが微妙に変化すれば、それに合う弓もまた、当然変わる。
更に、弓に張る馬の尻尾(白馬)がまた重要なのだ。
馬の尻尾は、弓の毛になるために特別に飼育されてる馬だったりする。そんな馬は、モンゴルの馬が今は主流であるが、その他イタリア、カナダ、フランス、、、と馬によって、馬の尻尾によって、尻尾のキューティクルによって、音色が違う。それも季節によって「絶対この馬」とはいかず、「どうも今回はイタリアの馬が良い」とか、「この季節はモンゴルの馬の尻尾に協力してもらおう」とか、あるのだ。それはもう頭を抱えるほどの組み合わせ、、、、!
だから、面白い、だから楽しいし、奥が深いので、いつまでもどこまでも研究しながら演奏する醍醐味がある。
さて今度は、どこのお馬さんに尻尾を拝借しましょうか?