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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2026 年 1 月
デュランティと共に

デビュー50周年の2025年を無事に終えて、新たなスタートを切る。

2026年はどんな年にしようかと思いを巡らせながら、ふと愛器・デュランティのことを思った。
そういえば私のストラディバリウス・デュランティは今年310歳(1716年製)の歳を迎える。
私の元へやってきたのは2002年なので24年も経つのか、と感慨深い。
木材というのはすごい。樹木そのものの生命力は計り知れないものがあり、一定の音振動を与え続けることによって、音色も練れてくるのだ。
改めてデュランティの歴史を辿ってみる。
このストラディバリウスを手にした人物は、珍しいことに製作されてからの310年間で4者しかいない、その4者目が千住家、となる。そのことを考えると、今更ながら身が引き締まる思いだ。
最初の所有の欄に当時のローマ法王の記載があるため、このストラディバリウスはその後数奇の運命を辿ることになるのだ。当時のローマ法王が亡くなったあと、その側近がフランスのデュランティ家に運び入れて、まるで隠されたように200年間の長い長い歳月、世に出ることがなかった。ひっそりと沈黙していたこのストラディバリウスは、200年の後、デュランティ家が滅びる直前にスイスの富豪の元へ渡される。そこでまた80年間、再びひっそりと身を隠すことになる。
その富豪のご主人が亡くなる時の遺言に、「このままではヴァイオリニストに弾かれないままになってしまう。是非次の所有者はヴァイオリニストの手に渡るように」とのことから、水面下で声がかけられた。
そしてあろうことか、はるばる海を渡り長旅を経てやってきたのが東の島国日本、当時住んでいた横浜市青葉区、その千住家(笑)となった。
つまり1716年にアントニオ・ストラディバリによって製作されてからずっと、プロのヴァイオリニストの手にいっさい渡ったことがなく、全く弾き込まれてないことがわかった。
なのでこのストラディバリウスは、まるで新品のような状態として、そしてバロック時代のチューニングのまま、私の目の前に現れた。
しかし私がこのストラディバリウスに出会った時には、そんな経歴は全く知らされてなかった。
ストラディバリウスはそれまでも何丁か見たり弾いたりしてきたので、だいたいどんなものか、という想像のもと出会うことになった。
が、驚くことに私の想像・予想を遥かに超える、言ってみれば全く別物の存在としての強烈なオーラがあり、それまで聴いたことのない音色だった。それは「音」というより、何物かの「声」と表現した方が良いのかもしれない、と思った。見たこともない、出会ったこともない「いきものの声」。不思議な恐ろしささえ感じてゾクゾクしたのを覚えてる。
そんな「存在」に出会ってしまった私は、ヴァイオリニストとしての残りの我が生涯を全て捧げてもまだ足りないほどの「存在」だと確信した。
それからの私はこの新品同様のストラディバリウスを弾きこなそうと努力した。
弾いて弾いて、弾き込んで、一日中弾き続け何ヶ月も何年も必死に向き合った。しかしなかなかデュランティを弾きこなせず、この身体が参ってしまうほど酷使している自分に気づいた時、身体をデュランティ仕様に改造しなければならない、と決心した。
「毎朝生卵3つ飲み」から始め、様々な栄養食を摂取することは「美味しいから食べたい食事をする」こととは意味が異なった。更に週3〜4回の水泳は1〜3キロで身体を鍛える。
そしてやっとデュランティが弾ける身体に改造することが出来た。デュランティと共に歩き始めた世界は未知の世界であり、永遠に広がるイメージはワクワクするほどなのだ。
樹木はすごい。
音色はどんどん変化して、まるで冷凍されていた生き物が解凍されていくに従って体温が上がり脈拍が打ち始める如く、デュランティは血色良く生き生きとメロディを歌い始めた。
デュランティと共に舞う空間は、目の前に広がる永遠の可能性を秘めている。

ステージ人生51年目が始まった。
このデュランティと共に体験する音の世界、次の扉を開くとどんな景色が待っているのか、その景色をみなさまと共に体感出来ることが私の歓びだ。