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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2025 年 9 月
ファン

「手を大切に」と毎回手紙に書いて送ってくださったファンの方がいた。
私がまだ中学生か高校生の頃だったと思う。同年代だったその人は、かなり頻繁にファンレターをくださった。そして必ず「手を大切に」という言葉で締めくくってあった。時にはたった一言「手を大切に」という言葉だけが葉書に書かれて送られてきたこともあった。細く優しい特徴のある文字だった。
母は私と共に手紙を見ながら「いつも心配してくださるのね」と微笑んでいた。
それまではそれなりに手を大切にはしてきたつもりの私だったが、毎回の文字を目にしながら「本当に大切にしなければ」という気持ちが強くなっていったのも事実である。度々のお手紙やお葉書に、「手を大切に」と書いてあれば、もっともっと手を大切にしなければ、と意識的に一層気を使うようになったものだ。
「手を大切に」という”曲線で細長い文字”の様子は、今でも映像が浮かんでくる。そして改めて自分の手を、指を、労る気持ちになるのだ。

ファンの方々の存在というのはとてもありがたいもので、デビュー以来の50年を振り返ってみれば、多くの方々に支えられてここまでくることが出来たのだとしみじみ思う。
学生時代から、ファンレターは、幼くしてデビューした私にとってとても大切な、心待ちにしていた『贈り物』だった。
頂いたファンレターを当時から私は大きな段ボール箱に入れて、練習に疲れると取り出して読むこともあった。そして「さあ、頑張ろう」と気持ちを新たにする。
そんなお手紙やお葉書には、出来る限りお返事を書き、それが文通のような形で続いたこともあった。が、演奏活動がなかなか厳しくなると、お返事もままならなくなっていって、そのことがしばらく気に掛かっていたことも記憶に残ってる。
それでも下さるお手紙の多くには、私を励ましてくださると共に自身も夢に向かって努力している、というそれぞれの姿が綴られていた。

高校球児から、甲子園の砂と甲子園出場の腕章を送ってくださったことも記憶に深い。
手紙には、途中で敗退してしまった悔しさと、精一杯頑張った清々しさが丁寧な文字で綴られていて、読んでいた私までも胸が熱くなったものだ。しばらくの間その「青春の証」を私はヴァイオリンケースの小物入れに入れて持ち歩いていた。
当時の私は学業とステージの両立が上手くいかずに、日々泣きべそをかきながらの追い詰められた状態だった。そんなこともあって、その高校球児からの『贈り物』甲子園の砂、大切な腕章は私の心の密かな拠り所にもなった。ヴァイオリンケースを開けると入れてある『お守り』のような存在として、その当時の私を元気付けてくれた「砂と腕章」だった。
特に12歳というまだ子供の私が、大人の世界に入り込んでしまったことで、そのストレスはかなりのものだった。10代の私に届く同世代の子供たちからの様々なファンレターが、私をどんなに勇気付け、励まして、又は慰めてくれたことか。
同じ時代を、分野は別であっても共に頑張る同胞としての存在が、時折道端にうずくまる私の手を引いてくれたことは間違いない。
時代は変わり今は手紙がほとんど行き交わない。昔は住所や電話番号は誰にでもわかるほどオープンだったのが不思議なほどであるが、今は個人情報漏れ防止の観点からも、住まいなどはわからないようになっている。

一方で現在での交流方法はSNSである。遅まきながら、私もコロナ禍をきっかけにガラケーからスマホへ買い替えたために、インスタグラムとフェイスブックを始めたことで世界が変わった。
SNSで交流出来る多くの方々とのコミュニケーションは、昔の手紙のやり取りのような感覚がある。
コンサートにいらしてくださった方からの温かいコメントに疲れも吹っ飛び、「次回のリサイタルに行きます」というコメントを読めばエネルギーが湧いてくる。頻繁にコメントを下さる方の存在は認識するし、初めての方のコメントも嬉しい。
なかなかお一人づつにお返事は書けないが、それでも下さる温かな言葉を読めば、すっかり友達のような
親近感を覚える。ご年配や年下の方であれば親戚のような近しい感覚が芽生える。
最終的にステージに出て奏でるのは私だが、そこまでは多くの人々がこんな私を支え、この背中を叩いて励ましステージへ向かわせる、という感覚が、今、あるのだ。

デビュー50周年も後半に入ってる。
心からの感謝の気持ちでステージに立とうと改めて思う。