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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2025 年 4 月
胃腸リセット

年に一度の人間ドック。
今年もコンサートの合間を縫って検査を受けることが出来た。

私は母校の慶應病院で受けることにしているが、年々検査の機械がどんどん最新に入れ替わってきて驚くばかりである。
「へー?この機械は何を診るのですか?どうするんですか?あ、中に立てば良いのですね?」
とか興味津々に質問しながら、全身をスキャンしている間、目はキョロキョロと上見たり横見たり、、、。
そんなふうに近代的な機器が次々に登場する人間ドックの検査場は「次は何かな?次はどれかな?」と実に楽しい。
「お昼はお食事のご用意がありますからね」と言われると、小学生が大好きな給食を待つような気持ちになってしまって、それを楽しみに、あと何時間、あと何分、あといくつ、あ、これが最後かしら?まだもう一つありそうだ、、、と楽しい時間に感じる。日常の自分自身がヴァイオリン生活でどっぷり音楽に浸かっているために、非日常的な人間ドックの時間がとても目新しく感じるのだろう。
あらゆる検査を受けるのだが、その中でも私は胃カメラ腸カメラが好きだ。実は、今年は受けなくても良い、と言われてとても残念な気持ちになった。で、「ぜひ今年も受けさせてください!」と担当医師に志願して叶った胃&腸カメラなのだ。その話をすると同調してくれる人は今のところ一人もいない。皆、怪訝な反応をしてくる。
どんなところが好きなのかと言うと、リセットされる感があるところ、だ。私は胃カメラと腸カメラを同時にやって頂いているので、『時短』の心地よさもまた、ある。胃と腸を空っぽにして検査におもむくわけで、特に腸カメラの場合はその事前処置の過程から始まり、まさにリセット、の感が強い。検査のあとは大抵「今日から心を改めて、、、、」と思う。改めるって、、、何を改めるのかといえば、私の場合やはり食事のスピードだ。とにかく食べる速度がどうやらとても早い、らしい。長い間、自分が早食いだとはあまり意識してこなかったのだが、だんだん周りの人に指摘されたりTV番組でそのことをクローズアップされるようになって、あー、私は相当早食いみたいだわ、と自覚するようになった。
確かに食事が始まり気がつくと飲み込んでしまっている。時には「あれ?今何を飲み込んだんだったかしら?」と自分でもあきれることがある。友人と会食したり、何人もの知人や
仕事仲間とみんなで食事をするようなときには、食べ終わってキョロキョロしてるのは私ひとりだったりする。
しかし早食いは伝染するのか、私のマネージャーや一番近い共演者などは、いつのまにか私と同じスピードで共に食べ終わっていて、同志のような嬉しさを感じる。
しかし、もちろんそれはよくないことだ。今のところ人間ドックの毎年の値は決して悪くはないのだが、そんなことで安心してはいけないのだろうな、と言うことも理解している。早食いが身体によくないことは重々わかっているので、最近では自分を修正しようと試みている。気がついた時には箸を置いて「良く噛むように」と始めているところだ。
癖はなかなか治るものではないが、思いだした時だけでもゆっくり噛んでいる。
ひとりで食事することのほうが多いので、それもいけないのかもしれない。マイペースのスピードでどんどん食事を終えてしまうので、ハッと気がついた時にはもう食べ終わっていることが多い。
人様と共にいただくような時には、まわりの方々と速度を揃えていただくように心がけている。そんな少しずつの努力も、やらないよりはずっとマシなのではないか、、、と。
そもそも食生活そのものは、かなり気を配っている。栄養バランスも考え、何かと健康志向だと自負しているので、だからこそ次なるはスピードだ。胃カメラ腸カメラのために胃腸が空っぽになってキレイにリセットされた感の我が内臓。これからは改めよう、と。
そう思って食事をいただきながら、30回噛もうとか、40回だとか頑張っていると、、、、あまり美味しくないなあ、と感じるのは、私が変わっているのかしら?やはり自分のタイミングで飲み込みたい時に飲み込みたい、と思ってしまうのだが、、、。それを我慢して一生懸命に噛んでいると、美味しいものも美味しくないように感じてしまうのだが、、、。

皆さんはどうなのだろう?
と考えながら、、あ、、。
今も、気がついたら食べ終わってしまった。