大切なアーティストがまた1人この世からいなくなってしまった。
ピアニスト藤井一興さん。長年ステージで、共演者及び伴奏者として私を支えてくださった藤井さん。私が藤井さんと初めて共演したのは私が25〜6歳の時だったと思う。その素晴らしい音楽に触れながら、もっと影響を受けたいと望みながら藤井さんとの共演が増えていった。初めの頃、まだ藤井さんと共演する前、藤井さんはフランスから帰ってきたばかりで、とにかく「素晴らしいピアニストが帰国した」との評判がすごかった。どの音楽雑誌も藤井さんのことで持ちきりだった。見た目のアーティスト風な風貌も相まってその存在は唯一無二のものになっていくのに時間はかからなかったようだ。実際聴いてみると、それはそれは見事なテクニック。練習しなくとも初見でどんな難解な曲もいとも簡単そうに弾いてしまう、という話を耳にし、それを私自身がのちに確かめることにもなる。とにかく緻密な演奏スタイルで、完成度の高い演奏をしてしまうことが驚きだった。しかしそれだけではない。私にとって、藤井さんの素晴らしさはその稀に見る感性だった。見たことも、聴いたこともないほどの繊細さ、デリケートな鍵盤へのタッチ、多彩に輝くピアノの音色は目の前にどんなにコンディションの悪いピアノがあっても、彼が触れれば藤井トーンが美しく響き渡るのが不思議でならなかった。艶のある粒の揃った音の羅列はどんな速いパッセージでも変わることはなく、異次元の世界を展開させて空間へと放っていた。こういう人が天才というのだろうなあ、と私は驚愕の思いで見て、聴いていた。私は心から尊敬し、願わくば藤井さんと多くのステージに立ちたい、と当初彼のスケジュールを片っ端からおさえてもらった記憶がある。こういう芸術家になりたい、と憧れた気持ちを持ちながら彼と共演していた。だから、彼と演奏会が出来る、というステージの時には本当に心からワクワクしたものだ。どんな美しい音の世界が体感出来るのかな、と毎回楽しみながら、そして学びながら、吸収しながら、ステージに上がった。本番では、リハーサルでは弾かなかったような魅力的な音色が、ドキドキするほどのミクロの世界で創造されていった。それは同じステージで一緒に本番を踏んだものにしかわからないような驚きだったのだ。彼がよく私に言っていた言葉に「テレパシー」という言葉があった。本番のステージではお互いテレパシーで語り合うのだ、と。確かに、と私は納得したものだ。もはやアイコンタクトさえ使わずに事前の打ち合わせなどはもってのほかでありリハーサルもほとんどしないタイプのピアニストであり、だからこそ本番の研ぎ澄まされたステージ上での互いの緊張感が、それぞれの音を空間へ紡いでいけたのだと思う。それは「テレパシーだったのだ」と。目を閉じて演奏する私は特にその言葉をそのまま受け取ったのかもしれない。藤井さんとの演奏はテレパシーだ、と。例えばフランクの3楽章、ピアニシモよりもっと「ささやき」のピアニシシモ。これ以上ないデリカシーを持ち、鍵盤と弦の音が交差しながら1ミリの狂いもなく混ざり合う。その箇所で、本番にだけ見せる藤井トーンがあった。2千人の聴衆を硬直させ、その空気を細かく震わせながらピアノとヴァイオリンの混ざり合う響きがひとびとの心を震わせた、と実感したあの瞬間、、、。今目を閉じれば、私はあの場に、あのステージ上に、あの瞬間に直ぐに戻れる。そんな気がするほど、印象深い時間が、藤井さんとのステージには数々ある。それだけに、いつかまた晩年になってから、あの真空状態の音世界を藤井一興さんが展開するのではないだろうかと、期待を持っていた。
しかしながら一方で、藤井さんといえばワイン通であり、飲むことが何より大好きな人であった。詳しいだけでなく、かなりの量を飲んでもまだ飲み足りない顔をしていたほどだ。あれだけ繊細な感性の方だから、それだけに反面ストレスや悩み、苦しみも計り知れないのだとはおもっていたが、いつ頃からだろうか飲む量がさすがにちょっと多すぎるのではないかと心配するような酩酊状態になることが増えてきた。私はその頃から藤井さんとの共演が少なくなっていったのだった。「いつかきっとまた、あの素晴らしい藤井トーンを紡ぎ出すに違いない、そうあって欲しい」と願いながら、月日はどんどん経っていったのだ。
「芸術家は孤独であれ」と母はよく言っていたが、そんな母も藤井さんの大ファンだったことはいうまでもない。母は初めから藤井さんの孤独感と淋しいほどに美しい音楽感を重ねて語っていた。「並外れた才能を持っているから、あの方の人となりは他者には理解されにくいのよ」と、、、。
確かに、藤井さんはそんな孤独の中にいながら実はとても人恋しい方だったのではないかなと、今にして思う。何人かで食事をしながらワインを飲み始めれば、いつまでも話が止まらないような人懐こい一面を覗かせてもいたからだ。酩酊してもまだ飲み続けることも、周りの人とまだまだ一緒にいたかったからなのかもしれないなあ、と。ここ何年かは、藤井さんとお会いしてなかった私は、お元気だった頃の藤井さんを記憶の中から手繰り寄せ、今日はひとり、ワインを傾けたいと思う。藤井一興さん、どうぞ安らかに、そして貴方の好きなワインとフランス音楽が共にありますように。