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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2024 年 5 月
人間ドック

毎年受けることにしている人間ドック。会社に属さない職種の私達音楽家は、自ら病院へ出向かなければ健康診断を受けることはない。
実際私自身も、母の末期ガンが見つかってしまうまでは人間ドックは受けたことがなかった。
母自身も同様に、そして私達子供と父のケアのために忙しい日々の中で人間ドックを受けることに考えが及ばなかった。せいぜい血液検査、不調を感じた時に慣れ親しんだ先生のクリニックを訪れる、程度だった。
私もそんなことでいいと考えていたのが、気持ちが変化したのは母が亡くなってから、である。
自覚症状がなかった母だったから、なおのこと、私は怖くなった。
ガン然り、ガンのみならず様々な厄介な病気は隠れている。ちょっと位具合が良くなくてもサプリメントでも飲んでおけばなんとかなるように思っていて、面倒な検診はいつも後回しだった。
人間ドック、最初は億劫だった。
面倒だなあと、予約の段階でだいぶ時間をとった。「でも」と、母が身をもって示してくれた「身体が資本」という大前提が頭をよぎる。
初めての人間ドックはそんなことで母に背中を押された形で受けることになり、あたまのてっぺんから足の先まで、くまなく調べ上げる大変そうな検診。
ところが私はこれが好きになった!
自分の身体のことを知ることはとても興味がある。どの値がどの程度どうなっているか、なんて自分のことなのにそれまで知らなかった、と少し驚く。
知らなきゃ、自分自身の身体、生きている間は最後病んで寝込んでしまう期間は短く、少しでも健康寿命が長い方がいい。だから、知ろう、と心に決めての毎年人間ドック!
自分の考え方の癖も発見!
少しでも値が良いように数日前からだいぶ、食事や生活習慣を気をつけてしまう。本当は普段通りの生活を調べてもらわなければ意味がないはずだが。
そしていまだに直せないのが眼の検査だ。とにかく視力が徐々に弱って来ているのは加齢によるものだから仕方がない。しかしそれでも少しでも良い結果になるように考えてしまい、ついつい「当てに」行ってしまう。片目ずつ検査するあの「左、右、上、下、が空いてる丸」のことだ。わからなくてもカンで言ってみると割と当たったりする。
「あー、、、」とか「そうです!」という検査医さんの反応で言い直したりしてしまう。ダメだなあ、、、わたし。
胃カメラも腸カメラも、身体の内部がスッキリする感じが癖になるほど気分いい。痛いのが嫌なので軽く麻酔をかけてもらうのも嫌いじゃない。いつ麻酔がかかったのかその瞬間がわからないのは当然なのだろうが、それがとても面白いなあと感じてしまう。
そんなふうに今年も終わった人間ドック。
全てはヴァイオリニストとしてステージに立ち続けたいから、目指す音楽の山を登り続けたいから、少しでも良い音楽を聴衆に届けられるヴァイオリニストに成長したいから、だ。
なかなか満足の行かないヴァイオリニストとしての自分が、ここにいる限り、身体のケアは必要不可欠だと感じている。