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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2024 年 4 月
闇の中の光

偶然なのか、必然なのか、人生の中で出会いは決められているものなのか、自分で決めるのか、、、。

様々な出会いによって私は今ここに居る。
その大きな大切な、私を救ってくれた出会いこそ、NHK大型報道番組だった。
「ワールドネットワーク 世界はいま」。
メインキャスターは当時絶大なる実力と人気と存在感を誇っていた磯村尚徳さん。そしてそのサブキャスターとして仕事をさせていただいた大切な2年間。

そもそも、2歳からヴァイオリンばかり夢中になってやっていた私には、およそ縁もゆかりもない、、、はずの報道関係の方々であり、番組だったのだ。
報道番組といえば、たまにニュースを見るくらいしか縁がなく、私自身深く関わるなど、全く予想だにしていなかった。
突然の電話、それは「報道番組の文化面担当のサブキャスターとして磯村さんの隣に立たないか?」と言う、我が耳を疑うばかりの話。

大学を出たばかりの私はといえば、最悪の状態だった。当時ヴァイオリニストとしてステージに出る自信を剥ぎ取られたように失い、数年間立ち上がるすべも見出せずに挫折の中に埋もれていた時だった。
ひとを信じることも、自分を信じることも出来なくなっていた私に突如湧いて出たような話。そんなこと私には無理だ、、、と。

両親は「今の真理子にとってとても必要なお仕事になる。有り難く精一杯やってごらん」と背中を押されての出演。
その頃の私は人と話すことを嫌い、何か質問されてもなるべく少ない言葉で返していた。今では考えられないが友達以外の前では笑うことが少なく、人からは睨んでいるように見えていたらしい。「何を考えてるかわからない子だ」と父にも言われていたほどであり、そんな私が、どうしたらカメラの前に真っ直ぐに立ち、カメラに向かって話すことができると言うのか。

磯村さんが先ず教えてくださったことは「カメラの向こうに大切な親しい人が居ると思って、その人に語りかけるのですよ」と。
その頃の私にはなかなか見えてこない「親しい大切な人」どうしたら見えてくるかなど自問自答しながら立つテレビカメラの前、楽器を持たない手が行き場を失いふらふら動くとスタッフに注意される。
海外への文化取材では、現地での3分間のコメント撮りが、なんと47回もテープに残され日本で編集するスタッフの間で大きく話題になってしまったほどだ。
「嫌だ、こんなこと、私の苦手なこと!帰国したら辞める!」と泣きべそをかきながら報道スタジオに戻ると磯村さんの温かな言葉に再び癒された。
「何回も果敢にトライしたこと自体、なかなか出来ることではない。あなたは努力の意味を知ってますね。一回ごとに言葉を吟味して工夫してコメントしてましたね。あれで良い。自分なりの話し方を探せばひとの心に届きます」
やってみよう、もう一度頑張ってみよう、と気持ちを改めて、私は少しずつ成長出来たように思う。
PD初め報道スタッフの方々は、海外で見聞きして帰国した私に
「どう思ったか」と必ず聞いた。さらに
「それは何故か?あなたならどうするか?相手は何故そう言ったと思うか?」
深くえぐるように考えを掘り下げる方法は、私自身をも考え直すきっかけとなった。

また、原稿を書く、と言うことを学んだのもこの時だ。
月一回の10日間海外取材、帰国の機内で宿題とされていたレポートを5000字以上書いて、帰国したその足でPDに提出し、それを元に映像を編集、となる。
何かの大学にでも通っているほどの学びを得られたために、私は心の筋肉がしなやかに付き、もう二度とポキッと折れるようなことはない、という自信にもなった。

今、ヴァイオリニストとして様々なコンサートに出向き、色々な形との出会いがある中で、ふと思う。
あの報道番組との出会いがなかったら、私はどうなっていたのだろう、と。自分の足でしっかり立つことが出来たかどうか、甚だ疑問である。
去年の暮れ、磯村キャスターが亡くなって、今年3月、お別れ会に見えた当時のスタッフ、歳を重ねたNHK報道の方々、今改めて、感謝の想いが募るばかりだ。


NHKアーカイブスで、当時の貴重なダイジェスト動画をご覧いただけます。

NHKアーカイブス
ワールドネットワーク世界はいま

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009041559_00000