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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2023 年 12 月
祈りのクリスマス

今年のクリスマスツリーは、いつにも増して切ない。
現在人質として捉えられている子供達も、戦争に巻き込まれて負傷してしまった子供達も、そして亡くなってしまった子供達も、、、ささやかであっても温かいクリスマスを心待ちにしているはずだった。
夢を語り、夢を託してツリーを飾る人びと、集まって団欒する聖夜、温かな家族と共にどんなに素朴であっても幸せな時間を過ごすであろうクリスマス、のはずだった。
なのに戦禍の子供達は今、恐怖に怯え、孤独に泣き、飢えに苦しみ、爆撃に命を落とす、、、。
嗚呼、神様は本当に存在するのだろうか?宗教って、一体なんなんだろうか?戦争に終わりが来るのはいつの日か?
我が家は無宗教、心の中に神が居る。私にとっては、弾くことが祈ること。
クリスマスになると、バッハや様々な作曲家によるアヴェ・マリアを演奏する機会が増える。
アヴェ・マリア、嗚呼、アヴェ・マリア。
祈る気持ちで奏でる切ない旋律が、まさに今、ガザやウクライナ等の戦場にいる兵士たちに届くことを願いながら。
様々な作曲家の手によって生み出されたたくさんのアヴェ・マリア。
バッハ、シューベルト、グノー、カッチーニ、サン=サーンス、アルカデルト、モーツァルト、マスカーニ、ビゼー、リスト、ヴェルディ、、、。

今、アヴェ・マリアを弾きたい気持ちが、ふつふつと湧いている。
一年が終わろうとする12月に、生きていてこんなに身近に戦争を目の当たりにするとは考えもしなかった。
実際ニュースに流れる映像は信じ難いことに現実そのものなのだ。今起きてることを淡々とした報告で日々見聞きしている私たち。だからといって何も出来ない。戦い合う人々、激しい殺し合いの応酬、憎しみの連鎖が増幅していく中で、もはや誰にも止められないほどの激しい感情の爆発を見る。やられたからやり返す、その巻き添えになって亡くなった方、怪我をさせられた方の数をニュースで知る私たち。
これを傍観者、というのではないか、と自分が情けなくなる。
全く罪のない子供やお年寄り、一般市民、ガザでは病院までもが標的にされてる事実、それをニュースで知らされる私たちはどのように受け止めれば良いのかわからない。
「順番に殺されていくのを待つだけだ」と目を赤くして語ったジャーナリストはその後、爆撃を受けて亡くなった。そして仲間のジャーナリストが代わって、震えながらその報告を語る。

今を生きる世界中の人々、人種も宗教も年齢も異なる人々が、世界のどこかで、貴方も、貴女も、今このひととき、幸せであって欲しいと願いながら、私は祈りの旋律を響かせる。私はヴァイオリニストだから。

どうかどうか、争いをやめて、殺しあうことをやめて、憎しみ合うのをやめて、
愛が満ちますように、、、。