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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2023 年 8 月
歩く

「歩く」と頭の回転が良くなる、と私は感じてる。
何か解決したいこと、悩みとか自分の考えをまとめたい時、リサイタルのプログラムを考える時にも、次回のCDレコーディングについて考えたい時も、私はとにかく外に出て、歩く。
歩幅を広くして(私はもともと歩幅がかなり広いが)タッタッと勢いよく早めに歩く。(早めに歩くことももともと私の癖なのだが)

よく、イメージとしては考え事をしながら歩く、というといかにもゆっくり考えてるふうな歩き方を想像するが、あれとは違う。私の場合では、ああやってゆっくり歩くと考えごともどんどん停滞していく、悪循環に陥る。だから、早歩きが良いのだ。

どこを歩く、なんて決めてない。
目の前の道を自然な成り行きで歩くので、信号があれば青信号を見つけてそこを渡る。赤信号で止まりたくないので、どこに向かうかはわからない。それで良い。
そうやってタッタッと歩いていると、面白いほどにひらめく。
様々な解決策、発想が脳に流れ込んできて、そうだそうだとドーパミンが出るような気がする。
手持ちのスマホのメモ欄に覚え書きしたり、ボイスメモで言葉に残したりして、後で思い出すようにしておくと良い。

解決したからには今度は急いで帰る。

どこまで歩いてきてしまったかは、さてさて困った、となることもあるが、これこそ急足で競歩のようにひたすら早く歩き、一刻も早く自宅へ、と急ぐ。


こんなことをほぼ毎日やってる。
毎日の考え事としてからなずあるのは、一日のプラン、だ。
仕事やコンサート、リハーサルがある時にはその前後のより良い過ごし方を工夫したいし、一日予定がない時には貴重なオフの日をどうやって過ごそうか、ワクワクする。
どんな風にも過ごせる贅沢。時間を自由に使えるということは、何にも増して嬉しくてたまらない。
その全ては我が愛器であるストラディバリウス・デュランティの為にある。この楽器の持っている無限な可能性をもっと引き出したい為に、私の持っている時間をどんなにでも使いたいのだ。
人生は短い、と良く言うが、今そのことを感じている。10年、20年、意外と早く経ってしまうな、、、と。
いつまで寿命があるかわからないが、残された人生、どうやって有効に過ごそうか?と考えると、私は急いで外に出て、タッタッと歩き始める。