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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2023 年 7 月
久々のサイン会

3年半ぶりのことだった。
リサイタル終わりにロビーでサイン会を開催すること。
東京都清瀬市にあるコンサートホール、けやきホールでのリサイタルでのこと。満席の客席のほとんどの方はマスクをしていたが、マスクをしてない方々もチラホラいらっしゃり、笑顔の表情が嬉しい。マスクの方々もそのマスク越しに見える和らいだ表情。
トークを交えながらのリサイタルは私の定番のリサイタル形式となっている。2時間のリサイタルの中で何ヶ所かトークを挟みながら、空気が和み、なんだか「私たち」つまり「私と聴衆のみなさん」とが馴染んでいくのがわかる。そのリサイタルの最後に、演奏会終演したあとに、ロビーに出て行うサイン会は、私と聴衆の方々との交流会のようになる。それが嬉しい。
久しぶりに「サイン会を行うことができる」と聞いたのは、リサイタル当日より2週間ほど前の事だった。長年会えなかった旧友に会える、と聞いたときのようなワクワク感。もちろん初めてお会いする聴衆の方々ばかりであるのに不思議な感覚だ。

思えば2020年、突然コロナ禍になり、最初の半年はコンサートがすべて中止になってしまい、外出も制限され、人と会って話をしたりみんなで一緒に食事をしたりすることも全てが出来なくなった。あの殺伐とした空気感は、今思い出しても、とても悲しかったし寂しかった。きっとみんな、世界中のみんな、人類はみんな、寂しかったし、苦しかったし、辛かった。親族に入院の人がいてもお見舞いに行けない事態、老人ホームに大好きなおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行けないまま寂しく過ごすしかないご老人の方々。今でも病院の制限が所々であるのは、またコロナ感染がじわじわと広がってきているからだ…。

リハーサルで互いにマスクをしてのことは当たり前のように定着し始めたが、1番厳しかったときには、本番のステージでも、リサイタルでもコンチェルトでも、演奏する時に私も含めて全員がマスクを着用した上での演奏だった。苦しさとの戦いの中での演奏もまた仕方のない事だった。ステージの上でお互い距離を取って位置を決め、演奏した後はハグができないのも然り、握手もできなかった。
人と交わること、全てが禁止された私たち人類の行動。
あれは何だったんだろう。
何に対する警告だったのだろう。
神様は私たちに何を忠告したかったのだろう。
マスクをしていて、相手の表情が読み取れず、お互いの交流もギクシャクして人とのつながりが薄らいで行く不安。

人として生きる上で、物質だけが大切ではないこと、楽しいと思えること、嬉しいと感じること、感動すること、話し合うこと、話し合わないで表情を読み取ること、無意味だと思われる様々な行為〜大切な無駄話や友達とくっつきながらじゃれ合う子供たち、そういったことがどんなに大切なことだったか。
3年半ぶりにサイン会を行うことができて、心に火が灯ったような和らぎ。聞いてくださった方と目と目を合わせて短い会話をすることが、どんなに大切なことだったか。お互いにマスクをしながらの事ではあったが、それでも近い空間に感じることが心の潤いとなった。こういうことを私は大切にしていきたいんだと改めて実感した。
聞いてくださった方に直にありがとうと言える、それが私にとって必要なことだったんだなあと感じた。
まだコロナ感染がなくなったわけでもなく、インフルエンザや風疹など気をつけなければならない感染病もいくつかある。
でも、「不要不急の外出は制限」と言う事態だけは避けたいものだ。だから、慎重に予防的行動も行いながら暫くは過ごさなければならないのだろう。最低限の人との交流を保つために!