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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2023 年 6 月
サウナ

泳いだ後のサウナ。
私の好きなサウナの入り方だ。
サウナだけ入るのは余り魅力を感じない。泳ぎとサウナが私の中ではセットになっている。もっと正確に言うなら、演奏と泳ぎとサウナ、がセットになっている。
昔、練習や本番、続く移動などで疲れすぎていて泳ぐ気力もなく、ただサウナだけ入って帰ったときがあったが、がっかりしたことにたいして爽快感はなかった。
つまり私にとっては、サウナというのは、単に身体的に汗が気持ちよく出るとか出ないとか、そういうことだけを期待してるのではない、ということだ。むしろ精神的、気分的に「やるべきことをやり切った感」があった時の方が、サウナは気持ち良い。やるべきこと、とは演奏で疲た筋肉を翌日までにほぐしてリセットさせることであり、それをしないと翌日以降に筋肉疲労が残って、たまって、故障の原因になる。
練習のあと、嗚呼肩が痛いと感じながら1キロ泳いだ、2キロ頑張った、なんて時に入るサウナの、なんと気持ちいいことか。疲れが汗とともに体外に流れて、「整う!」ってコレだな、と実感する。

つまり私がサウナに入るのは泳いだ後であり、私が泳ぐのは弾いた後、となる。
ヴァイオリン演奏による部分的な疲労は、学生時代は何もしなくても寝れば治ってた。10時間弾こうが、本番が何日も続こうが、筋肉は何ともなかった。しかし次第に筋肉をケアしなければならないということに気がつき、マッサージに行ったり針に通ったり、、、色々方法を探した。
その中でも私に合ったリセット法が弾いて泳いで、サウナ、だと気がついた。ヴァイオリンの特殊筋肉疲労が、水泳の全身疲労へ転換されて、それからサウナでその散らばった疲労を外に出す、そんな感覚が「整った」感覚を生み出す。

サウナに入りながらぼーっとする。
何も考えない「無」の時間。
頭の中の脳みそまで、ふにゃふにゃになってリラックスしているような感じ。
いつもタゥタカタッタカ走り回っている私にとって、とても贅沢な時間であり、とても必要な時間。
しかしサウナの中で苦しくても我慢して何回も入る、という入り方は、しない。
我慢せずに、もういいと思ったらサッと出るのが大体10分前後。しかも2回目からは義務感を感じてしまうから1回しか必要ないと感じる。私の性格からくるのだと思ってるのだが、2回目からあとは1回目ほどの離脱感はなくなり、無でもなくなり、頭の中も何かしら考え事がわいて出てきてソワソワして、しまう。飽きるのかな。
だから、私はサウナに一回しか入らないで、十分に満足し、身も心も軽くなる。
帰り道、さてこのあと何を食べようかなと色々イメージしながら汲めるのも私の楽しみの一つ。
サウナは演奏活動の中に組み込まれているマイ・ルーティンの一つだ。