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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2023 年 5 月
メガネ

視力は昔からとても良かったから、今になってのメガネはどうも慣れない。
メガネをかけていると視界が狭まるような感覚になって、いざと言う時にはサッとメガネを外すことがある。外すと当然見えるべきものが見えないから、また掛けたりする。
掛けたり外したり、頻繁に繰り返すから完全に外さずにおでこの上にずらしておくこともままある。と、おでこのところに掛けてあると言うことを忘れてメガネを探したりする。ベタな仕草だけど、本当にそうなるのだなあ、とつくづく感じる。
この頃はマスクを常にしていることが多いから、なおさら、マスクに加えてメガネとなると、とても違和感がある。
メガネが嫌ならコンタクトレンズがあるじゃないのと言われるが、コンタクトレンズこそ、生まれてこのかた、全くの未経験なので今更怖くてつけられない。目の中に異物を入れるって、一体どんな感覚なのかなあと想像はしてみるものの、ゴロゴロしないのかなとか、眼をパチパチしたらずれたり外れたりしないのかなとか、とても心配になる。

メガネをかければ、よく見える。
わあ、すごい!と思うほど。ありがたいと感嘆する。なのにメガネを掛けることに、まだまだ慣れない自分がもどかしい。

健康診断で視力の検査をする。
この時に私の悪い癖が出てしまう。
○(丸)の左右上下のどこかがひらいている、あの検査だ。下が開いてるのか右が開いてるのかわからない時にも、少しでも「見える!」と言う結果に持っていきたいと言う潜在意識が強く働いて、「当て」に行ってしまう。
大体カンで当たってしまうことがある。そんなことしたら検査にならないことは充分わかっているのに、結果的に自分が困るのに、なのにその瞬間になると、当てようとしてしまう、、、。
全くわからなくても、とりあえずカンで言ってみようと言う時には、やはり不安があるので、「んー、右、、、かなあ?」なんて言ってみる。検査員の方に「あ、そうです!あってます」とか言われるととても嬉しくなってしまう。
検査が終わって、あーあ、、またわからないのに当てちゃったー、、、と反省。
だから視力検査結果は実際より、良い。困ったことだ。

メガネは、何ヶ所かで作っていただいたものをいくつか持ってる。
とても素敵なメガネもあるのだが、なんか使いこなせないでいる。高価なメガネだと、メガネの取り扱いが慣れてない私だから傷をつけたりすると大変だと思い、なかなか頻繁に手に取れないで、もっぱら百均のメガネが活躍する。
百均といえども使っていればとても大切になる。同じデザインの気に入ったものをいくつか、部屋のいろんな場所に置いて、何か読む時にサッとかけられるようにしてある。

先日、その百均のメガネを移動中に無くした。地方でのコンサート帰りの新幹線の中で、無いことに気づいたのだ。とても気に入っている赤と黒のデザインのものだ。同じものをいくつか持っているのに、「その」メガネがないことにドキドキして、悲しくて、ポケットやおでこやカバンや、、探すけど無い。思い返すと、あの時慌ててタクシーから降りて走って駅に向かった、そのどこかできっと落としたのだ。自分を反省した。そしてやはり無いかな、無いかな、とバッグの中をゴソゴソ探し回っていた、その時スマホが震えてラインが届いた。
コレ、千住さんのですよねー?
ラインで送られてきた写真は、私の愛する百均メガネ!
ピアニストの山洞さんが駅構内で落っこちていた百均のメガネを見つけて、千住のに違いない、と気がついたらしい。そのままマネージャーに渡してくださり、マネージャーはその日のうちに私のところへ届けてくれた。
ありがたい、感動ものだ。

反省と感謝。
メガネと私の距離がグンと縮まった気がした。