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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2022 年 12 月
クリスマスシーズン

12月といえば、やはりクリスマスの月。早いところだと11月後半からクリスマスが始まっている。
街並みも、お店も、人の気持ちも、話題も。
クリスマスが巡るたびに毎年重ねてきた沢山の思い出が色濃く顔をだす。

小さい頃の賑やかなクリスマス。

祖父母と愛犬も含めた7人と1匹の家族に、親戚の家族も参加して、楽しい時間、はしゃぐ心、母の手作りの美味しいお料理にお腹いっぱいになっていた懐かしくて幸せなクリスマス。

高校、大学に進むにつれて集まる人数も減ったり、その顔ぶれが次第に変わる。
兄たちは友人たちと誘い合って集う場へ、父は仕事に猛進していた時期、少ない人数でも母はその手を緩めることなく鷄の丸焼きを2羽も3羽もせっせと焼いていたオーブンから立ち込める匂い。鷄の中に詰め物をするスタッフドチキンは格別の美味しさだった。
私も思春期になれば寂しさを感じたり、人恋しい気持ちになっていた12月のクリスマスシーズン。友達の集まりに行ってみたり、ボーイフレンドに誘われたり、家族と過ごさないクリスマスは、なんだかうしろめたかった。それでも変わらず鷄の丸焼きを焼いて私たちの帰りを待つ母の心の中は、あの頃どんな色をしていたのだろう。

祖父母も愛犬も他界して、父も亡くなるとガランとした家がやけに広いと感じるようになった。兄たちも独立すると、私と母、2人だけのクリスマス。「鷄、焼くわよ!」と腕をまくる母が少し小さく見えて切なかった12月。
引っ越そうよ、、、。
私から母に切り出した。母はハッとした目でしばらく私を見ていたっけ。
2人で住むのにふさわしい広さの家ってある。友達にも協力してもらって探した家、そこに引っ越して迎えたクリスマスはなんだかよそよそしいような心細さがあった。
母がそこで作るクリスマスのお料理。オーブンが慣れなくて焦げてしまったり、大人数用のお皿しかなくてお料理が少なく見える。急いで作り足して、2人では食べきれない大ご馳走に苦笑いする母の少しかなしげな苦笑いが忘れられない。そして母が亡くなったあと、ほとんどクリスマスコンサートに走り回るシーズンが続いた。

想い出って、重なると哀愁が増すんだな、とつくづく感じ入るこの頃だ。

今では静かに過ごすクリスマスが、なんか、いいな。
誰かと一緒でもいいし、一人でも構わない。そして、むしろ大ご馳走なんかじゃなくて、ほどほどの食材こそが満足だ。
世界情勢が不安な昨今に、今この瞬間何かに必死に耐えている人々がいるんだ、と思うと心がその想像から離れない。
目を閉じて、そんな人々の心の中を思うと、何ごとも起こらない平穏な時間が全ての人の中に流れるといいなと思う。

だから私も、ただただ静かなクリスマスを過ごしたい。