このところ、地球が変だ。
人類が地球を壊してしまったのだろうか。
大事に扱わずに利便性を重視してきた報いなのだろうかと、何度も考える。
例えば地震。地震列島とも言われる日本をはじめとして、世界各国に突如起こる激しい大地震、それに誘発される巨大津波の恐ろしさ、2011年に東北を襲った想像を絶する原発事故の恐怖は無くなってない、それどころかますます不安は拭えない。
感染病ではサル痘なども出てきたものの、兎にも角にも新型感染コロナウィルスが未だ猛威をふるう。その異常なまでのしつこさ、まだ絶対的に確実な薬もなく、変異株は人類を嘲笑うかのようにより強く敏感に変異を繰り返して生き延びている。長引く感染拡大は人類の知恵をしても抑えることが出来ないし、むしろ強固に悪賢いウィルスとなり私たちを脅かしてくる。
一方で、地球温暖化の影響による異常気象はどうか。
冬は凍死するほどの寒さに、夏には外を歩くだけで命が危ないほど、梅雨のシーズンさえも、もはや明けたのか明けてなかったのかわからなくなっているような気象状態の混乱、地球上の四季は、いや日本の文化とも言える春夏秋冬の美しさはもう見れないのだろうか。ビバルディが弦楽器に歌わせた四季折々の華やいだ風景は、もはや音楽の中に閉じ込められた物語になっていくのだろうか。
ロシアとウクライナの戦争ではウクライナの一般市民や病院、学校、子供達までが標的にされている。見るに絶えない惨劇、終わりの見えない混乱、泥沼化していく人と人の殺し合い…。ウクライナに平和を!と、どんなに祈ってみても日夜続けられる残酷な攻撃は、銃口を向け合う兵士達の精神状態までもが訳がわからなくなっている。戦争によってその大切な命を落としていく一人ひとりの兵士たち。それはもちろんウクライナ兵だけではなくロシア兵も然り、だ。なぜ自分は戦うのか、何のために他国兵を殺すのか、どんな使命があって他国の一般市民をも殺さなければならないのか…。
自分が生きているこの時代に、こんな世の中になるとは考えたこともなかった。
自然災害で被害を被る農作物、コロナ禍でどうにも出来ないサービス業、戦争の影響で世界経済も低迷してしまい、誰も幸せではない。
いまヴァイオリンを奏でるとき、この世の中の悲しみが音となって滲み出ていく。美しいメロディーの切なさが胸を締め付ける。
ふと、時折美しい夕陽を目にすることがある。うつろいゆく夕陽の美しさに感動する心と、その流麗さに哀しみが込み上げてきて、私はいたたまれなくなる。
全ての人の心の中に優しく語りかけるメロディが、いつもいつも鳴っていれば。
引き金を引こうとしているその指が、涙を拭う指になれば。