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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2022 年 6 月
梅雨

悩ましい季節の到来。
梅雨。
雨が降り続くと湿度が高まり、楽器は湿度を吸ってしまう。
どうしても避けられないこの自然現象に、なんとか抗って楽器を守らなければならない。いつも湿度を気にしながらのこの季節はなかなか気が休まらない緊張する時期だ。

昔はあまり気にしなかった。昔持っていた楽器はそんなに古くない楽器のときもあり、現代楽器は丈夫に作られているし、木材もニスも硬くて新しい。少し位湿度が高くても、かえってそれがおしめりになってしっとりとした良い音になったりするからだ。
10歳位までの幼少時代、暑い夏の日にはクーラーがなかった我が家では扇風機の効果を上げる工夫をしていた。濡れたタオルを固く絞って肩にかける。その上からなんとヴァイオリンを構えて顎と肩で押さえ込んで楽器を構える。濡れたタオルにくっつけるわけだから、当然木で出来た楽器ははがれて壊れてしまう。
そんなことに何故気が付かなかったのか、ボーッとしていたのか、そんなふうにして練習していた夏の季節。母も私も音楽には素人で、親子共々なんの疑問も不安もなく夏の日々を過ごしてしまった。
秋になり、生まれて初めて挑戦する音楽コンクール小学生の部。いよいよ迎えた大切なコンクール当日、ガバガバと楽器がはがれて壊れて、変な音のするヴァイオリンを抱えて私は出番を待った。
母に「お母ちゃま、この楽器なんか変な音がするよ??」と問いかけると母は「あら、ここのところが剥がれてしまったみたいだけど、はがれて2枚になったら倍の音がするかもしれないから、堂々と弾いたらいい!」と明るく私をステージに送り出してくれた。ステージて弾き始める私の、少しかわった響きに聴衆がざわめいたのを覚えている。

さて、一方で、12歳でプロデビューした頃から使い始めたのがオールドバイオリンだ。最初はガダニーニ、セラフィンと、それぞれ愛着のわく名器だったのをおぼえている。古い楽器は大変デリケートだ。メンテナンスが難しく、なかなか良いコンディションを保ってくれない。
作られてから何百年も経つだけでなく、木材そのものも、楽器に使われる前に既に千年単位で生えていた選りすぐりの木材だ。木目も細かく、既に乾燥されていて繊細なケアが必要になってくる。

湿度にかなり敏感なため、湿度が高くなると極端に響きが悪くなる。材質の古い木材は湿度を吸ってしまい、木と木を繋ぎ合わせているニカワが湿度によって溶けて剥がれてしまう。
かといえば、乾燥すればするほど良いことにはならない。
例えば飛行機の中は大変乾燥しているのだが、機内で楽器に亀裂が入って割れてしまったという事例は数々聞くことがある。
想像しただけでゾッとする。
その場合にはダンピッドという加湿の道具を使う。

今私が大切にしているストラディバリウス・デュランティは少し乾燥しすぎぐらいが調子良い。
だから今からの季節がとてもナーバスになる。
家では完璧な湿度管理の部屋でコンディションを充実させておいて、コンサートなどで外出させるときには楽器用の乾燥剤をケースに入れて持ち歩く。ケースの中はとにかく乾燥状態にさせておくわけだ。
コンサート会場では、自前の湿度計で測ってから、セーフであればケースを開ける。
そこからはホールのスタッフの方々にご協力いただきながらの緻密な作業にもなる。
湿度が高いときに、どうすれば本番までに湿度を下げられるか、リハーサルはギリギリ何時まで出来るか。

そうして迎えるコンサート、まさにスタッフの皆さんのおかげでステージに上がることができる幸せ。ストラディバリウスの歌声を聴衆の皆さんに聴いていただける幸せが何倍にもなって心に積もるのだ。