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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2022 年 5 月
小さな花の願い

春の風が優しく頬を撫でる。コロナ禍で空気をたっぷり吸うことが、贅沢な時代になっている。こうやって久々に、人の通りの少ない小道をゆるりと歩くことは、何よりの贅沢な時間だ。

穏やかな陽射しに包まれ、歩き慣れた散歩道の足元には、小さな野の花が美しいオーラを放って咲いている。
鮮やかな色彩は神が作られたのだろうか、心をとらえて離さない花、花、花、、、。
足を止めて花に顔を近づける。

道端の花は、誰かに見つけてもらうかどうかわからないのに、こんなに美しく咲き誇る。生きることを悦び、その悦びを全身で表現するかのように、伸びやかな生命を花びらの一枚いちまいに乗せている。

歩きながら、優しい時間に身を置いてかわいい花を愛でるしあわせ、、、。こんな今も別の場所では辛く厳しい時間と戦っている人々がいるんだ、とふと虚しくなる。何をしていても、どんな時にも頭から離れない残酷な光景、酷い現実。
野の花を愛でながらしあわせだなと感じると同時に、そのことが凄く申し訳なく思う。しあわせで申し訳ない。
ウクライナで絶えることのない恐怖に震える方々の想いが私の心に流れ込んでくる。
空腹で、逃げることも叶わずに、ただじっと息を潜めている方々の心細さ。ご老人も幼な子も、男性も女性も。
大切な親を、子供を、友人を目の前で殺された方々の絶望と哀しみ。
なのに私には、何も出来ないでいることの歯がゆい想い。
美しい花を目で追いながら、私は自然と、黄色の花に心が止まる。青い空に黄色の花、なんと美しく映えることだろう。
この花々をウクライナの方々に届けたい想いになる。世界中のしあわせを望む人々の心に、無垢なる美しい花々を届けたい。

いま攻撃している一人ひとりが、何故、その銃口を市民に向ける手をとめることができないのだろうか。
止めないどころかもう一歩超えたあり得ない行動にまで発展してしまうのは何故なのか。人が人間ではなくなってしまうような思考回路が回り出すのは、誰に止められるのだろう。
老婆が涙を流している映像がニュースで流された時、私に耐えられない苦しみが伝わってきた。
「とても怖くて、とても悲しい。もうやめてほしい。家に帰りたい。」
その言葉が、頭から離れない。
ヴァイオリンを弾くことしかできない自分の、無力が情けない。