Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 11 月

ヴァイオリンの楽器と共になくてはならない「弓」。
その弓の話題はなかなか注目されない。それは私にとって、とても不思議なことなのだ。
何故なら、弓は、すごい。
正確に言うなら、すごい弓は、すごい。すごい弓って言うのはなかなか出会えないのだが(つまりはストラディバリウスみたいに)もし
そのすごい弓を持てば、超高価なる楽器に苦労しなくても良い、といえる。
楽器があまり良い音が出なくて不満があっても、たまたま巡り合った素晴らしい弓でひと弾き奏でれば、最高級のヴァイオリンと見間違えるくらいすごい良い音が出ることがある。

そんな弓も、いやはや楽器同様になかなか高価だ。なんと言っても希少価値が高いのだ。よく見れば細くくびれた部分が繊細で折れやすいから、ちょっとしたタイミングで事故は起こる。
見た目、なんてことのない「木の棒」じゃないか、みたいに思われるかも知れないが、その木がそもそも特別であり、楽器同様、今ではこの世に生えていない素晴らしい素材なのだ。更にそれを弓形にそらせながら木を削いでいく技術がモノを言う。
まず、ストラディバリウスと同じくらい古い時代に作られているオールドボウである。
楽器といえばイタリアのクレモナだが弓はイタリアではない。何故かフランスなのだ。
代表的な2大名弓といえば、フランソワ・トゥルテとドミニク・ペカットが挙げられる。
さて、ストラディバリウスの様な楽器は実は手にしてすぐに満足な音が出せる訳ではなく、弾きこなせる様になるまでにはかなり弾き込んで何年もかかる。私のデュランティも安心して弾きこなせるまでに7年位年月を要した。
だが弓の場合は真逆なのだ。つまりは消耗品なのであまり使いすぎたり疲れさせてしまうと、逆にへたばってしまう。コレ同じ弓か?と思うほど、音色も変わってしまうし、音量さえも弱くなり顕著に疲れが出るのがわかる。
しかも、消耗品が故に、世の中からどんどんなくなっていくため、希少価値が上がる一方だ。
ヴァイオリニストの誰かが手放さない限り、他の人のところには回ってこないことになる。
なので大切に、労りながら、休ませながら、コンディションをみながら使っていかないとならない。
また、楽器は多少のことなら修理して元通りになって使い続けることが可能だが、弓は一度ポキッと折れると(わあー、恐ろしい!想像するだけで冷や汗が出る!)2度と元の様な状態には戻らず良い音は出せない。修理の効果がほぼない。取り扱いには、つまりとてもナーバスになるのも事実だ。
さらに、くたびれやすい弓に気を使うために数本の弓を交代しながら使用することが望ましくなる。

私は数本持っていて、会場でどの弓を使うかを決める。コンサートホールのステージで弾いてみて、初めてわかる。大きなホールになればなるほど、各々の弓がこの日どのくらい調子が、良いか悪いか、とてもよくわかるのが面白い。
その弓の特徴が出てなかったり、良さが鈍っていると、別の弓を交代させる。今日調子の良い弓、をその場で選ぶ訳だ。なんか、野球選手の交代みたいだなあ、、、。

というわけで、今日もまた、数本の弓の中からベストコンディションの弓を選び、ストラディバリウスを奏でよう。