1. Home
  2. Essay
  3. オリンピック

Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 8 月
オリンピック

東京2020オリンピックは、結局、始まった。
その聖火ランナーのひとりとして公道を走る予定だった聖火マラソン、私が走る予定の神奈川県は中止になり、トーチキスのみが行われると報告が来た。
その時点で、密集を避けることを選んだ私は会場に出向くことを遠慮させていただいた。
世界の人々がどうなるのかと見守る中、東京2020オリンピックは開催へと歩み続け、様々なトラブルが次々に露出。今度こそオリンピック開催は無理ではないか?と言うざわめきを背に、しかしオリンピックは開催へと進んだ。

開会式をテレビで観た。
とても複雑な気持ち、それはオリンピック関係者にそれぞれあるのだろう。
画面に映るパフォーマーの表情は各々が、笑顔だったり真剣な表情、哀しそうにも辛そうにも見えた。さまざまなパフォーマンスが繰り広げられ、それは華やかな祭典ではなく悩み迷う人々の気持ちが反映されているように見えた。
コロナで犠牲になった多くの方々を追悼する場面や、自粛生活が続き思うように訓練ができなかったアスリートたちを表現するパフォーマーたち。
様々な思いを交錯させて、日本的な祭りのお囃子が切なく鳴り響く。
選手団の入場。
マスクで表情が見えない選手たちは、その心境をも閉ざしながら、ただ一点の目標に向かおうとしているようにみえた。
一方で日本国内の感染は今までにないスピードでどんどん広がり加速してきている現実。今このエッセイを書いている7月末時点で、すでに医療逼迫への不安が医療関係者から警告されている。

競技が始まった。
開催されるか中止になるか最後の最後までわからなかったこの状態で、選手は「オリンピックがあることを信じて今日まで頑張ってきました」
と言葉にしていた。絞り出すような本音だ。
そうなんだ。
私自身、コンサートが次々に中止になっていった去年のことが頭をよぎった。
目前のコンサートのために練習しながらも実際延期や中止になるかもしれないという不安が募る。コンサートの日にちが近づくと中止になる。また次のコンサートも、あるかもしれないことを信じて練習に集中するが、日程が近づくと中止が決定される。
そんなことが度々繰り返されながらの6ヶ月だった。さて次のコンサートの練習を始めてもこの曲は果たしてステージで演奏することができるのだろうか?私はもう二度とステージ上に立てないのではないかと、不安が心に渦を巻く。

オリンピックへ向かう選手たちも、きっと不安な渦に巻き込まれないように、必死に自分の信念につかまりながら、この日を迎えたのだろう。
もちろん日本人だけではない。
むしろ外国から参加した選手の人たちは、隔離生活や不自由な行動制限を強いられながら自身のコンディションを最高のものにするのにどれほどの困難が立ちはだかっただろう。
そんな中でいよいよ、次々に行われていく競技。
すべての選手にとって普段とは全く違う状況下において、その実力を発揮するのには苦労が絶えなかっただろう。
「オリンピックを開催してくれてありがとうございます」と涙ながらに口にする選手もいた。
競技の途中で陽性が出てしまい、途中で断念せざるを得なかった選手も日を追うごとに出てきている。
止まってくれない時間の中で、その時間の経過とともに広がる感染者数をゾッとする思いで目にする、今は7月27日。
このエッセイを読んでくださるときに、私たちの心はどんな色合いでそこにあるだろうか。