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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 6 月
梅雨

雨のシーズンが到来!
私にとって、ヴァイオリンを守る忙しい時期に入る。
だいたいにしてオールドヴァイオリンはとても繊細だ。200年、300年と昔に作られた楽器は、その木材が年月によって乾燥して様々な変化を遂げる。木材に塗り込められた独特のニス、これがまた年月とともに変化して、木材に溶け込んでいく。
音を鳴らしてその木目に刺激を与えれば、素材はまた、その刺激にそぐう変化をしながら唯一無二の楽器になっていくのだ。
 ストラディバリウスは、さらに繊細に製作されている芸術作品だと思う。300年前に作られたヴァイオリンという楽器の女王様。このレベルをしのぐ楽器が未だに生まれてこないのは、実に実に、不思議な話だ。
さて、私の所有する「デュランティ」と称号のあるストラディバリウスは、なお一層、乾燥状態が好きだ。それは「デュランティが生きて来た300年の歴史」に要因があるように思う。
デュランティは、300年の長い年月、ステージの上で弾かれることなくひっそりと隠されて生きて来た楽器なのだ。
製作者のアントニオ・ストラディバリさんがこの楽器を1716年に制作して、一人目の所有者に名前が刻まれているのが当時のローマ法王・クレメント14世。バチカンに20年ほど置かれていた時に、ローマ法王が密やかにお弾きになってたのだろうか。
その後側近が故郷フランスのデュランティファミリーに持って帰る。そのデュランティ家のお城の中でなんとおよそ200年間隠されるようにあった。一定の乾燥状態の中じっとその空間に置かれたまま時を刻むデュランティ。日本にくらべヨーロッパは特に乾燥している。その空気を吸って呼吸してきたデュランティは、外の世界を知らない。
その後さらに、スイスの、やはり大富豪のお屋敷に隠されるように年月が過ぎ、2002年についに、東の島国である日本の私の元へやってきた。
かわいそうに。日本の高温多湿の土地に馴染むためには相当苦労があっただろう。
私のもとにやってきた当初、デュランティは素晴らしい音色は出すものの私の言うことを聞かない。まるでダンプカーのように、右と言えば極端に右、左へ戻せば極端に左へ行ってしまう感じだった。
私のもとに来た当初は、さらに梅雨の時期になれば急に音が出なくなっていた。歌うのが嫌だと泣きべそを書く子供のようだった。
極端に湿度が嫌いなんだと分かった時、私はいくつもの乾燥機を買い、除湿剤を買って、デュランティが育ってきたヨーロッパの乾燥した空気を再現しようとした。
梅雨の時期は大変なことである。家の中でそれができてもコンサート会場へ持っていったとき、なかなか思うようにいかない。
しかも移動中が大変だ。雨が降ったりしてじめじめした空気の中、バイオリンケースの上からさらに自分の着ているレインコートを脱いでヴァイオリンケースに被せ、抱き抱え、デランティを必死に守る。
1年経ち2年経ち、3年、4年、、、次第にディランティは私との生活に馴染んでくれた。
私自身もデュランティを守る術をいくつも身に付け、デュランティが不快な思いをしないように常に気を配った。
梅雨のシーズンに入れば乾燥状態だけでなくデュランティに張る弦をチョイスする。春夏秋冬、弦はメーカーもゲージも、温度と湿度により私は変えている。デュランティを奏でるための弓も数本用意する。その日のデュランティのご機嫌によってお好みの弓が変わるからだ。
家の中で一定の温度湿度を保てるデュランティの部屋がある。
その場所で過ごす時間は安心だが、コンサートのために外へ持ち出す時が大変気をつかう。
そしてコンサート会場。
広いコンサートホールがもし湿度が高かった場合、本番までの間にどのようにしてスタッフに協力していただけるか。どうしたら数時間で理想に近い湿度にすることができるか。これが1番悩む部分だ。
特に最近は温暖化の影響で、異常気象が激しく、台風並みの荒れた天気が私たちを襲う。
守らなきゃ!と思う。
305年生きてきたデュランティを、私が生きている間、最高のコンディションで守って、そして次の世代へ渡していく。それが私の責任だ。