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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 5 月
聖火リレー

聖火リレーのランナーに選ばれている。

決まったのは2年前だ。

まだ新型コロナウィルスの脅威に私たち人類がさらされる前の決定だ。

嬉しかったのを覚えている。

世界中の人類が、戦争も政治も関係なく平和を掲げてスポーツに夢中になる。

オリンピックは平和の祭典、それを半世紀ぶりに日本の地で行うという決定に日本中が歓喜した。日本中が沸いた。

当初、東京オリンピックは東日本大震災の被災地が復興することを目指し、だからまず復興を頑張ろう、と。そしてその復興を祝って、私たちはトーチを掲げるのだとイメージした。私たちは、希望に胸を膨らませたのだ。

しかし今、現実には、東日本大震災の被災地は、まだ復興が終わってない。まだ元の生活に戻れずに苦しんでいる方々や、孤独と闘いながら不自由な仮設での生活に日々を過ごす方々が、あたかも置いていきぼりのような状態で止まってしまっている。情報が届かない人々にとっては、東日本はすでにもう復興が終わったと思ってる方々もいる。

それでもオリンピックを糧に、復興への勢いをつけられるように、と私たち日本人は考えていたはずだった。

それがいつのまにか、変化していったのは、COVID-19の出現による。
昨年からじわじわと蔓延る新型コロナウィルス。
こんなに恐ろしい事態になるなど予想だにしなかった。そのうち収束するとばかり思っていたし、自分には関係なくウィルスは無くなると思ったのも束の間だ。
勢い拡散し、去年の春に、一度目の緊急事態宣言によって、全てのコンサートが中止になり、結果半年の間ステージに立つことが無くなった。大変なことになったと実感したのは、世界中の人々だ。
あまねく世界中に勢い拡散されていくウィルスの恐怖。ロックダウンする各国。救えない命。
その後も繰り返される感染者の増加、自粛要請は常に常に。
ゴムも引っ張り続けると伸びきってしまう。私たちは、たしかに、疲れてきた。

さて、そんな中、4月25日から始まった3回目の緊急事態宣言。
加速して増加する感染者数は、変異ウィルスによってますます、太刀打ち出来ないほどの感染力だという。

オリンピックはどうするのか。

日本人の多くはたぶん、強行することに首を傾げる。日本人だけではない、世界中の人々が、今まだCOVID-19の脅威と闘いながら、東京オリンピックの行く末を案じている。

聖火ランナーを辞退する人も出てきている。特に超有名な方々は、その方がトーチを掲げて街を走ることにより人々が殺到して感染リスクが高まることを避けるためだ。

都市によっては聖火リレーを断念する苦渋の決断をした場所もあり、まだこの先どうなるのか、全てがわからない状態だ。
しかし、聖火リレー自体が細々と続けられるのならば、誰かがトーチを持って平和のシンボルを繋げようとするのなら、その灯火をそっと運び次へ繋ぐ手伝いはしようと、今はそんな考えでいる。

聖火ランナーであることに、こんなに悩ましく考えあぐねるとは予想しなかった。ただただ、嬉しいこと、のはずだった。

頭から離れないのは、24時間絶え間なく命を救おうと闘っている医療現場の方々だ。

何より、逼迫する医療現場の様子をニュースで知る限り、私たちは今、何を優先させなければならないのか、今目の前にある危機は何なのか、私たちは正しい判断をしているのか、、、。

坂道を転げ落ちるような不安感が拭えない。

(4月末 記)