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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 4 月
春よ来い

何かが始まる、春。
春は大好きだ。
4月は、特にマイバースデーの月でもあるからか、幼い頃から大好きな月だった。
咲き始めた桜を見ると、必ず思い出すのは、ピカピカのちょっとまだ硬い新しいランドセルの匂い。
そう、新入生になったあの日が、一番鮮明に春を思い出す光景なのだ。
慶應義塾幼稚舎に入学したあの日。幼稚舎と言っても、幼稚園ではない。たまに間違えられるのだが、幼稚舎は小学校だ。
幼稚舎には制服があって制帽がある。
真新しい制服に袖を通して丸い帽子を被ると嬉しくてたまらなかった。
幼稚舎で支給されたランドセルには慶應のペンのマークが付いていて、皮で作られているその皮の匂いが記憶に鮮明だ。
ランドセルの中には、新しいノート、鉛筆、消しゴム、まだ開いてない教科書、定規、下敷き、それら全ての新しい匂い!
持ち物の全てに書かれた自分の名前がまた嬉しい。母のきれいな字でひらがなの自分の名前が。
外は桜、少しずつ暖かくなる風、風に舞う桜の花びら、父母の笑顔、祖父母の笑顔。
幼稚舎の担任の先生は、6年間変わらないのが特徴である。
どんな先生かワクワクして教室の椅子に座った。新しいお友達、みんな照れたような笑顔、みんなとこれから仲良くなる喜び、まだ知らないたくさんのお友達、みんな大好き、と思った。
入ってらっしゃった先生は、格好良くてニコニコして、きちんとしたステキな先生だった。大好き、と思った。
その後6年間を代わらず担任でいてくださる私たちの先生は、本来の専門が数学だった。そのためか私たちクラスメートはみんな、算数が好きになり、得意にもなった。算数の授業が楽しくてたまらなかった。
幼少期の大切な時間を共に過ごす担任の先生の名は中山理(ただし)先生。私たち生徒は中山先生を「第3の親」と慕った。
幼稚舎という小学校に通い始めた私は、同じくすでに幼稚舎生になっていた兄たちと、しっかり手を繋いで毎朝学校へ通った。
私が新1年生、明兄3年生、博兄6年生だった。
当時住んでいた横浜の自宅から電車を乗り継いで1時間半かけて通う道。
電車はラッシュで息ができないほど毎朝押しつぶされそうになる。苦しい。
兄たちは「ここにいます!」と、電車の中で手を挙げ、声を出して守ってくれた記憶がある。
気が付いた大人の方々が、空間を保ってくれた。

それから6回過ぎた春。
7回目の春は、幼稚舎卒業の春。
忘れられない悲しみの感情は、初めての経験。中山先生の号泣に、私たちクラスメートも涙した。
卒業って、こんなに淋しいことも初めて知った。
真っ赤になって下を向いて、号泣していたステージの上の中山先生。
桜が風に散る様子にさえも、寂しさを感じた卒業の春だった。

その後も巡り来る桜の季節。
さまざまな想いを胸に毎年迎えて来た4月。
去年、先がわからない不安を抱えながらじっと自宅にこもり自粛していた春だった。今年は緊急事態宣言が解除されたからと言っても、東京では感染者数が微増しているという中で、私たちはまだ明るい気持ちだけで桜を見られない。
春よ来い、早く来い、、、といつのまにか口ずさんでいた。