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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 3 月
安野光雅さんの思い出

安野光雅さんが亡くなった。
まだまだお元気で素敵な絵を生み出してくださるものと思い込んでいただけに、切なく愛おしい。
安野光雅さんとの出会いは、今から30年程前になる。
NHKの特別番組で「エルベ河紀行」を制作するにあたり、安野光雅さんと私はエルベ河に沿って旅を始めた。
そんな旅番組は、安野さんの優しいお人柄と無邪気な魅力が旅の仕事を潤してくれた。
スタッフもまた素敵な人材が集まり、「飲み組」「喰い組」の二班に別れて別々な場所をロケーションしたり、また合流したりと、大規模な取材番組だった。
「飲み組」「喰い組」にわざわざ別れた訳ではなくて自然とそうなっていたこともまた可笑しくて楽しい話題だった。当然私は「飲み組」だ。
まだ若かったこともあってずいぶん飲んでも全く酔わなかった。
むしろ飲めば飲むほど頭が冴えていった感覚があった。
さて、そんな安野さんと、うちわで後々語り継がれることになった可笑しい事件があった。
チェコのエルベ河取材の日、である。エルベ河に跨るカレル橋は有名で、道端に物売りがお店を広げていたり大道芸人がマジックをしたり、音楽家が楽器を奏でたり、楽しく飽きない橋だ。
お天気も良く、カメラマンはそんな人々を丁寧にカメラの枠に収めたりして時間が過ぎる。
安野さんと私はそんな、橋に点在する人々を見て回る「歩き」の風景を撮るため、何回か橋を行き来していた。
PDのSさんが私たちに「とってもいい絵が撮れてるからそのまま歩いていて下さい」と言って離れていった。私たちを近くで撮ったあとカメラマンとSさんは遠くから私たちをねらうということになった。
私たちは大道芸人さんたちに時折声をかけたり、立ち止まって見入ったりしながら、エルベ河の河から吹く風を感じていた。
だいぶ歩いて少しばかり疲れを感じてきた頃、てっぺんから指していた陽のひかりもかげりをみせはじめた。
「Sさんはどこから撮ってるんだろうなあ」ポツリと安野さんがつぶやいた。
そう言われてみて初めて私は眼を遠くへ向けてみた。沢山の観光客、地元の人々、こんなに人がいては彼らを探せない。
「撮り終わったらこちらに来てくださるんじゃないでしょうか??」何の確信もなくそう答えると、安野さんは不安な顔をにじませた。
そんな空気で橋の上のイベントは楽しめなくなってきている。
「遅いよなあ、そんなに時間かかるかなあ」
安野さんに言われると私も益々不安がつのる。
遅いと感じ始めてから30分は経った。遅すぎる。
私たちは迷子になった旅行客さながら、カレル橋の上で身を寄せ合いもはや動くことさえ危険だと言わんばかりの体勢で周りにバリヤーを張った。
安野さんは確信した様に「僕たちは置いていかれたに違いない」と言い始めた。
そうか、Sさんは物事に夢中になると他を忘れてしまう節がなくもない。おそらく、次のロケハンに行ってしまったに違いない。
不安がる安野さんに、私は言い放った。
「安野さん!大丈夫!いざとなったら安野さん一人くらい養ってあげるから、私が橋の上でバイオリンを弾くから、安野さん帽子持って回れば食べて行けるから!」
後に語り草になったのがこのセリフだった。
結局、だいぶ経ってからSさんは走ってやってきた。「ゴメンナサイ!お待たせしちゃって。さあ、行きましょう」

事あるごとに安野さんは、あの時の下りを、面白く可笑しく、そしてさもSさんに見放された僕たち、と言う可哀想な設定で語り、聞く人を、それからSさんをも、大爆笑させるのだった。
安野光雅さんのそばに行くと、いくつもそんな話がある。次第に脚色されたり演出が入ったりして実話とすこーし違って来たりするが、それが楽しい。
安野さん、天国でまた、皆んなに話しているのかな。
安らかに、とお祈りいたしますー。