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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 1 月
謹賀新年!

新しい年。
空気も空も気持ちも、何もかもが新しくなったような気持ちになる元旦。
時間の流れは同じはずだし、何かがリセットされたわけではないのに、全ての水が入れ替えられた水槽のように感じる。不思議だ。
特に日本では、年明けと共に神社やお寺にいち早くお参りに行って、その年の一年無病息災を祈願する風習がある。リセットが前提となっているような行動だ。
2021年のこのお正月は例外的に、ソーシャルディスタンスを図るために各々時期をずらしましょうと呼びかけているわけだが、本来は元旦から三が日に人々がお参りに押し寄せる。そしてなお一層、「今年こそは良い年にしよう」「今年は頑張らなくては!」「今年の私は去年までの私とは違う!」など、去年までのマイナスな出来事を一掃したい想いを募らせる。
さて、そんな年明けも不思議なことに、過ぎ去るのが早い。
年が明けた、めでたい、正月だ、三が日はお屠蘇と共に、いや7日は七草粥だ、成人式だ、、、と色々やってるうちに一月はあっ!!って間に過ぎる。
日本では昔から、1月はイチだから行く、2月はニだから逃げる、3月はサンだから去る、と言う言い方がある。面白いし、その通りだと感心してしまう。ほんとに実際、もしかしたら時間の速度が速く進んでいるのではないかと、ふと思ってしまう。
そういえば、物の本では、時間と空間にはゆがみがあり、ひずみがあり、ねじれがあり、この広い宇宙空間においては時空間は伸びたり縮んだりしていると言う話をきいたことがある。面白いなあ、宇宙科学者さんのお話を深く傾聴してみたいなあ、と思う時がある。
昔地球が丸いとは、誰も思ってなかったように、昔地球が回っているなんて笑い話のように言われていたように、時空間は、我々の考えているような単純なものではないのかもしれない。
そう言う不可思議な話に、私は興味があって、また、現在と過去と未来が実は同時に存在しているのだと聞けば、夢がどんどん広がる気がする。
音楽などと言う、目に見えない存在に向き合っている感性で捉えた時、音は時間や空間をもしかしたら抜けるのではないかと、ふと思ってしまう。
だったら望むことがある。
亡くなった父や母が一番苦しかった最期のあの瞬間に、あの耳元に、この音が届け!と祈りながら弾いてる自分が居る。
時空間が、もしよじれているならば、様々な可能性がふつふつと湧いてくる。どこかで一人病に伏している寂しい夜間を過ごす人に、どどかないだろうか?デュランティの音色が、と。
そんなことをボーッと考えているうちに、ほらまた時間がどんどん先に進んでしまった。
置いていかれないように!と、私はまた、走る。