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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2020 年 12 月
踊るサンタ

白い髭をつけ、雑貨屋で購入したサンタクロースの衣装を身につけた母は、太った身体を激しく振りながら私の演奏に合わせて、踊る、おどる、オドル。

それは12月の想い出。
クリスマスシーズンになると私は母と共にボランティア活動をして回っていた。
老人ホーム、子供養護施設、身障者施設やホスピス。普段コンサートに来たくても来ることが出来ない方々のために様々な施設を回って、演奏する。サンタクロースになった母は大きな白い袋からお菓子を出して配る。
そういう活動をしようと言い出したのは母だった。
母は若い頃YMCAのリーダーをやっていたような活動的な人だ。
エリザベスサンダースホームで子供たちの世話をすることに生きがいを感じ熱意を持って働いていた母だ。
その母は晩年に差し掛かった頃から、私と一緒にボランティア活動をやりたがった。春夏秋冬、私の仕事の合間を見ながら30年以上続くボランティア活動は、その後次第に母の体力的問題で、私一人になったりもしたが、母は極力行きたがったのだ。
母の熱意を受け、私もまた母と回るボランティア活動には喜びがあった。

母の様子が普段と違うと感じたのは、そんなボランティア活動の最中だった。
仮設ステージのはじにおかれたパイプ椅子に、一曲ごとに腰を下ろす母は、明らかに苦しそうに肩で息をしている。ハーハー、ゼーゼー、ヒューヒューと不思議な音を立てている母の白髭の下に、赤らんだ皮膚が見えた。
演奏を終えて控え室に戻ると、赤白のサンタクロースの帽子と髭を取った母の顔は苦しそうに歪んでいた。
大丈夫?と声をかけ、差し出す水を一気に飲んだ母は照れたような笑みを浮かべて何回も頷いた。
それでも母は、私のボランティアコンサートに一緒について来ると言ってきかなかった。
あまり動かなくていいからね、と言っても母は「わかったわかった!」と言いながら仮設ステージの上で懸命に動き回って人々を喜ばせた。
反面、ステージのたびに母の様子は悪化していき、私は無理矢理母を病院へ連れて行くと、心臓の弁が壊れている状態だった。そのまま入院した母は、緊急手術となった。
手術は名医のお陰で成功し、母は再びボランティア活動についてくるようになった。嬉しそうに楽しそうに、他人のために動き回る母は輝いていた。

今年ももうすぐ終わる。
巷に流れてくるクリスマスミュージック。
冷たい空気に身体をすぼめながら、クリスマスで飾られたツリーを目に、今日も母のサンタクロース姿が目に浮かんでくる。
かわいそうに、あの時苦しかったんだなあ、でもやり続けたかったんだなあ。
他人の喜ぶことを、あんなに生きがいにしていた母。今生きていたら、どうするだろう。

コロナ禍では人と接する事を避けなければならない。
互いにマスクして一定の距離を保つ必要がある。
会話を最小限に、向かい合わないように工夫して、互いに触れ合うことはやめることが大切になる。
そんな中で私に出来ること。
母はどんなアイディアを私に提案するだろうー。
そんなことを考えながら、精一杯のこと、クリスマスコンサートで三密回避しながら集まってくださる方々に喜んで頂けるように、と日々考えている。

今年のクリスマスは、いつもと違う。