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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2020 年 11 月
一期一会

一年ぶりに、二人の兄と会った。
特に博兄はNY在住のため、住居から全く身動きできなかったという。明兄は博兄に、必要な食料や物資を航空便などで送っていたようだが、全ては届かず検査などで没収されたらしい。
私と明兄は、そんな博兄が心配で時折LINEで様子を聞いたりもした。
その博兄が日本に帰国できたのが10カ月ぶりだ。
それまで月に1~2回ペースで帰国していたので、今までにない事態だった訳だ。
しかし、同じ日本にいた明兄とも、私は自粛引き籠り生活で数ヶ月会わずにいたわけだ。独り身の私としては外出もしなければ孤独を満喫?する生活が淡々と続いた。
3兄妹で、やっと、会えた!感慨深い。
考えてみれば、いままでだって1年に1度会うかどうか、だったのだが。お互い忙しいので、1年会わなくてもなんとも思わないで来たのに。
なのにコロナ禍の特殊な状況下で、気持ちは変わる。
新型コロナウィルスの脅威が生命までをも脅かすからだ。
この先どうなるかわからない不安は、世界中の多くの人々が抱えている問題だ。
亡くなるはずがないと信じていた知人が亡くなったり、どんなに気をつけていても新型コロナウィルスに感染してしまったり、病院に隔離されて窓越しでしか会うことが許されない事態になったり。
ヨーロッパで再び感染が爆発的に拡大し始めたとニュースで知れば、人ごとではない。自粛を緩和している日本だけがこの先も感染の拡大はしない、ともいいきれない。
3兄妹で次に会えるのはいつになるのだろう、会える日が二度と来ないのではないか?ふとそんなことも考えるのは、むしろ自然なのではないか。
NYに帰って行った博兄は、再びNYでの緊迫した環境下に置かれる。
日本でも、日々感染者数にドキドキして暮らす人も少なくないはずだ。
そもそも人は、親しい人と「二度と会えない」とは思わないものだ。
近い人ほど、会えなくなる想像はしにくいものだ。
私の心に引っかかってる記憶。それは母との最後の会話だ。
あの時が、言葉を交わす最後になるとは思わなかった。
病院のベッドで痛みに耐え続ける母に、いつものように一通りの世話を終えて「じゃあ帰るよ。また来るからね、バイバイ」と小さく手を振った私に、しかし母はいつもと違う反応を返した。
「帰るの?」と、とても悲しい目をしてじっと私を凝視した。
あの時、私はちょっと不思議に感じながらも、元気に笑いながら「しょうがないでしょ!仕事よ、コンサート。終わったらすぐまた来るんだから!じゃ、ね!」と、短い会話。なんであんな目をしたんだろう、と気になりながらドアを閉めた記憶。
そのあと地方から病院へ駆けつけると、母はもう会話が出来なくなっていた。そして私を見て母は絞り出すような声で一言だけ「まりちゃん、、、」と、私の名前を呼んだ。それが最後だ。
だったらあの時、と後悔が頭をもたげる。
そのことがあってから、常に思う。親しい人、大切な人、仲のいい人、近しい人と、今日が最後かも知れない、とふと思った方がいいと。
一期一会。
ステージで、今私は毎回そう思う。
なかなか収束が見えないコロナ禍に於いて、日に日にリアルな緊張感をも助長される。
私がステージに立てるのが、最後かも知れない。
ライブのコンサート開催そのものが許されなくなるのかも知れない。
様々な不安は、今この瞬間を貴重な時間と空間に変えていく。
兄たちと、また会える日が来るかなという不安が、3人で会えた貴重な時間をかけがえのないものにした。