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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2020 年 10 月
視力

視力は、最近当たり前の如く、少しずつ低下してきている。
年齢に比例して、視力は落ちるのが当たり前だ。
しかしいまだにわたしは、なんだか抵抗して煽る自分に気づくのだ。

昔は視力が2.0なのが自慢だった。なんだったらもっと見えるとイイなんて思っていたくらいだ。
学生時代の視力検査は得意だった。ん?得意?って言うのも何か変かもしれないが。
技が、ある。
大抵クラスみんな並んで検査をうけるわけだから、3人くらい前の友達の検査から見て聞いていられる。また、まだ両目開いている自分には、先生が棒で示している「欠けた丸」が、どういう丸か、よくわかる。
そんなに数が多くないから、自然に覚えてしまうわけだ。
覚えてしまったものは、片目をスプーンのようなもので隠しても、わかるから当たってしまう。
だから、実際2.0が本当は何歳までだったのかな、と最近思うこともあるけど、自覚的に、確かに裸眼でよく見えていたのは間違いない。
それがいつ頃からか、見え方が鈍くなってきた。
まだ母が生きていて元気だった頃だから、10年程前だろうか。
室内楽を弾く時には楽譜を暗譜せずに見て弾くため、眼鏡が必要になった。ステージ上で眼鏡をかけるのは抵抗がある。仲間はコンタクトレンズにしているようだが、今までかつて、「異物」を眼の中に入れるなんて事はしたことがないので考えられない。
仕方なくステージで眼鏡をかけて弾いたわたしは、やだなやだな~、と愚痴っていたら、母に怒られた。
「まりちゃん!ナニをカッコつけてるのよ。真面目に眼鏡かけてしっかり楽譜見なさい」

いつも母の言葉を思い出す。
カッコつけてるばかりではない、というのがわたしの反論だ。
だいたい眼鏡をかけるのが慣れてないので、気になる。
かけて弾いてるとズレ落ちてきて、また気になる。
眼鏡のフレームで視界が狭くなり、気になる。
眼鏡をかけて焦点を絞っても、音楽に体を揺らせながら弾いてると、いちいち焦点がずれたりボケたりして、また気になるのだ。
しかし、そうも言ってられない。最近ますます、年齢に抗えなくなってきた。
この間、人間ドックで視力検査があった。
コロナ禍で、並ぶことがなく、非常にコロナ対策が万全だったため、静かに呼ばれて入っていった部屋に、今流の検査器具。
もう紙ではないんだ!
昔みたいにポスターのような紙が遠くに貼ってあって先生が棒で指し示すこともない。
画面の前のくぼみに顎を乗せて、ただ見る。
ごまかせない状態だ。
しかしわたしは、ある種のカンで当ててしまう!
「わからないけどなんとなく右ですか?」と半笑いで呟くと、先生も、
「あ!そうですそうです!当たってますよ!」とのこと。
あれ?こんなんでいいのかなあ?
と疑問と後ろめたさを感じながら視力検査は終わった。
両目1.0
悪くないじゃないか。

しかし、実際は細かい文字が見えない。夕方や、疲れてくると顕著に見えない。
だから、眼鏡もいくつか作った。
作ったのとは別に、百均でなかなかオシャレなのを見つけた!これなら無くしてもまた買えばいいし、惜しみなく感じるので、いくつか買ってあらゆる場所に「配置」した。
なんか、安心!