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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2020 年 9 月
動き始めたコンサートと、動かなくなった新幹線

やっと動き始めたコンサートの催し。
ソーシャルディスタンスを取るために客席は間引きながら。至る所に置かれた消毒剤、マスク着用とフェイスシールド着用。
5カ月ぶりの8月1日の佐賀、8月22日の冨山、銀行の配信コンサートやチャリティ演奏会‥‥、あちこち始まったコンサート、新鮮な緊張感と喜びでほとんど記憶がないまま過ぎていった8月。

そう、私はずっと、この場面の夢を見ていたのだ、この5カ月の間。何度も何度も。ようやくステージに立てる喜びに満ちた夢。
または逆に、コンサート会場まで行こうとするがなかなか辿りつかない夢。私は夢の中で走り回って会場を探す。お客様が待ってるのにどうしよう、と夢の中で私は焦るー。汗まみれになって目が覚めるのだった。

5カ月ぶりのステージの上、まるでデジャブのように夢と現実が交差する。
スポットライトが眩しい、と眼を閉じて演奏しながら、何度も自分に問う。「これは夢?」
マスクして聴いて下さる聴衆の方々。お一人おひとりが笑顔で一生懸命拍手をして下さるのが、マスク越しでもわかって嬉しい。
いつのまにか最後まで演奏してしまい、私は夢か夢かと思いながら名残惜しいアンコールへ時間は進む。この演奏が終わるのが嫌だ、この瞬間よ永遠にと望み、願いながらも終ってしまう切なさ。立ち上がって拍手を下さる聴衆の方々に熱いものがこみ上げてきてどうしようもなかった。

新型コロナウィルスによって閉ざされた聴衆との心の交流、人とのつながり、触れ合い語り合うことなど、一番大切なものは何なのかを、強く自問自答させられる日々が続く今年、私はデビュー45周年を迎えている。
節目のこの年に、神様から与えられた休養の時間か、「自分自身を見直しなさい」というメッセージなのか。
弾きたくて弾きたくて仕方ないと言う溢れんばかりの想いは、そう言えばしばらく忘れていたのかもしれない。
当たり前のように行われていたコンサート、今日も明日もと深く思考するより先にやってきていたコンサート。
だから今、どんなに音楽が必要か、なくてはならないか、思い知らされた感じだ。
開催されることが決まった一つひとつのコンサートは、惜しむように、大切に大切に、心をつむいでいきたいと、心の底から思う毎日だ。

久々の移動トラブルに見舞われたのもこの8月だった。
8月22日冨山コンサートから東京へ向かう帰り路、乗り込んだ新幹線が10分もしたら止まって動かなくなった。その先の途中駅で強風と豪雨のためビニールハウスが新幹線と衝突したという。ビニールハウスは線路内に散らばり、電線に絡まり、暴風雨のなか駅員さんたちが取り除く作業を始めたものの、復旧の目処が全く立たないとのことだった。
私は車内で缶詰になり、災害用ペットボトル水とカロリーメイトが配られた。
いつ動くのか車掌さんに聞いても、「こちらにも全く情報が入らない」と困惑している様子が見てとれた。
仕方ない。
結局車内に座っているしかない。黒部宇奈月温泉駅から長野駅まで40分で着くはずのところ5時間かかって辿り着き、長野から先はまだ再開見通しが立たないとの繰り返しのアナウンスを聞きながら、仕方なく真夜中に私は長野駅で下車してホテルに泊まったのだった。
いつもならイライラしてしまうことだが不思議とイライラしないでいられたのは、久々の移動トラブルさえ新鮮に受け止めたからか。