1. Home
  2. Essay
  3. コロナで変わったこと

Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2020 年 6 月
コロナで変わったこと

緊急事態宣言が全国的に解除されたのは5月25日だった。
果たして新型コロナウィルスの恐怖は消え去ったのかと、まだ治療薬の決まらないウィルスに対して私たちは不安を抱く。
自粛要請を解除されたからといって、新しく感染者が出なくなったわけではなく、グラフは怪しく上下のラインを、たどる。
街に人は増えてきても、さまざまな細かい要請は続いていて、3密を避けなくれば、恐ろしいウィルスはまた牙を剥く。私たちクラシック音楽界のコンサート会場に安心して人々が、いつ頃からなら集まってくれるのか、心配だ。

私自身、コンサートが一切中止、延期になって、早、3ヶ月以上になる。6月のコンサートも全て中止となったので、4ヵ月以上の、コンサート中止状態だ。
全世界的にこんな風になるなんて、いったい誰が予想しただろうか。クラシック音楽は、特にマイクを使わずに、肌に触れる音を感性で感じとる。
生の息遣い、生の音色は空気の振動にのって人々の五感に触れる。
クラシック音楽のよさは、なんといっても、そんな生演奏やCDに見られるような音質のクオリティの高さなんじゃないかと思う。

だから、悔しい。
コロナウィルスに、勝てない。
ステージに立って、一瞬にして消えゆく音の芸術を、一期一会の出会いに託されるのだ。
AIには出来ないこと、人類という地球上の特殊な生きものにしか出来ない心の交流。そこに生まれる感動という感性も、人間独特の感情の歓びだと思う。
今私たちは、お互いに接することを禁じられた。
愛情や友情を確かめ合う行為の全てを禁じられ、ハグすることも、握手も、触れ合うことも、緊急事態宣言が解除になっても残る「三密」のひとつだ。

悲しい。
わたしにとって、バイオリン演奏もそうだ。
今自宅の部屋で練習していても、音を届けたい相手がいない。奏でるフレーズは、ブーメランのようにわたしに戻ってきてしまう。
しかし、楽器演奏は欠かさず練習し続けていかないと弾けなくなる。
虚しさの中で、ひたすら練習し続ける日々。
しかし、だからといって無理やりコンサートを開きたいとは思わない。
人の生命がかかっているからだ。
大袈裟でも何でもなく。
慎重にも慎重を重ねて判断せねばならないとかんがえている。
本当に、聴衆の皆様が安心して会場に出向くことが出来ることが基本だ。
次にステージに上がれる時、今までとは違う気配りも必要だろう。
感染が広がらないための様々な工夫は、どんなことなのか、考えなくてはならない。
ステージで聴衆と感動を分かち合える『その日』のために、わたしは今日も明日も練習をし続けようと思う。

様々な業種のかたが、今どんなに苦しんでいることかと思う。
なんとか耐えているかた、どうにもこうにも耐えられずに仕事を閉じてしまったかた。
涙を流しながら従業員を解雇せざるを得なかったかた。
仕事がなくなり、一日いちにちを普通に過ごせないかた。
アルバイトがなくなり学校を辞めなくてはならない学生さん。

高校野球も中止になるという異常事態の昨今、穏やかな日常を、ひたすらに待ちわびる毎日だ。