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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2019 年 10 月
私の人間ドック

人間ドックに行った。

母が生前お世話になっていたご縁から、がん研有明病院での人間ドックにした。
日頃からなかなか検査に行く時間はないから、どうせ行くなら身体全身バババッと診ていただくのがいいなあと思った。
しかし泊まり込みとか二日掛りというのは、どうも気性にあわない。だからなんとか一日で済むようなプログラムにしていただき(そういうコースがある)胃カメラと腸カメラは同時にしていただくことにした。実は去年もそうしていただいて、要領よく済んで、いいかんじだったからだ。

痛いのは嫌だから少しうとうとする程度の状態にして頂いたので、本当に楽だ。少し意識はあるから先生の会話はなんとなく覚えている。感覚もゼロではないが痛くはない。
それに、去年は小さなポリープが見つかってその場で除去して下さった。が、今年はなかった。ホッとした。
胃腸がすっからかんになると、なんだかリセットされた気になって気持ちもあらたになる。明日からは胃腸にやさしく、つまりゆっくり良く噛んで食べましょ、とも思う。
去年「肉を噛まずに呑み込むのはやめた方がいい」と注意されたので反省もしたが、今年は何も言われなかった。
去年よりは多少食べ物を噛むように意識している日が増えたからかもしれない。

さて、がん研だから様々なガンがないか、よく調べてくれるので、それも安心だ。なんといっても最近は三人にひとり、とか二人にひとりの割合でガンになる可能性があるというから、驚いてはならないと日頃から考えてもいる。とにかく早期発見だとも心得る。長生きしたいというよりは、長くバイオリンを弾いていたいという気持ちが強い。
まあとりあえず今回は大丈夫だった。

そのほかの検査としては、視力聴力検査もある。視力検査では、私の悪い癖が、どうしても出てしまう。
少しでも良い結果を出そうとするのは人としての性ではないかとも思うが。つまり、あまり見えなくてもだいたいのカンで言い当ててしまう。当たったか当たらなかったかはわからないのだが、終了後に「視力いいですね~」と誉められて誉めてるわけではないだろうが、私は誉められたような気になって、当たったのだなとわかると気分がいい。
本当はそんなに視力は良くないはずなんだ。疲れてくると、メガネ掛けないと楽譜の音符が読めないし、今では本を読むにはメガネが必需品だ。メガネ、つまり老眼鏡のことなんだけど。
だから測るときには、正直に見えることだけ言って測ってもらわないと意味がないのだ。わかっている。

今度はそうしよう。

そんなことを考えながら帰路についた、ある初秋の夕暮れであった。