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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2019 年 4 月
過ぎ行く時代(とき)

いよいよ元号が変わる。
私たち日本人は、気持ちに区切りをつけたり、平成の30年をふりかえってみたり、自分自身の反省や思い起こしをしてみるきっかけにする人が多い。
私の場合は、加えて4月は誕生日を迎える月だ。更に気持ちが新たになる。

4月生まれ、しかも3日である。
小さい頃はクラスの誰よりも早く年上に変わることが、あまり好きではなかった。何故なら、性格的には兄二人を持つ末っ子だ。どちらかと言えば甘えたい性格だった。二人の兄に付いていって遊んでもらったり、宿題のわからないところは父にきくより兄にきいたほうがききやすかった。小さい頃は、親が4人いるような存在だった。
なのに学校に行けば、誰よりも年上で、なんかしっかりしなければならないのかなあという多少のプレッシャー。
だから、誕生日をみんなに言われるのは「お姉さんの立場になれないのに」という不安から、肩身がせまい気持ちになった。
それも二十歳(はたち)を過ぎる頃には、いつの間にか「一足先にお姉さん」になるのが心地よくなっていたのは不思議だ。女の子特有の感情もはたらいてか、少しみんなより背伸びした感じが好きになっていた。恋に芽生え大人に憧れたからか。
ともかくとも、誕生日というのは区切りがつく。しかも4月という月は日本において、年度始め、桜咲く始業式、希望に満ちた、すべての始まりの季節。
春という晴れやかな季節感も加わり、昨日まで物事がうまくいかなかった人も、春からは新しくリセットされてなんだか頑張れるような気持ちになれるのかもしれない。
今年は更にさらに、元号がいよいよ変わるとなれば、日本中、気を引き締めて、よくなかったことは改めて、という想い、か。
そんな過ぎていく平成を振り返るにつけ、過ぎていく年齢を振り返るにつけ、時の経つのが年々早く感じてくる。一年の経つのは速く、30年も速かった。
これは、例えば10歳の時の一年は1/10 年なのに対し、50歳の一年は1/50 年、という相対的時間軸が成り立つ、ということなのかもしれない。
しかし、私は年齢を重ねることが嫌じゃない。むしろ、歳をとるのが年々嬉しくなっているのが事実だ。素敵に歳をとりたいし、歳をとることは、とてもとても素敵なことだと思う。世界中のご年配の方々に出逢うたび、魅力的な人間性に憧れることが多いからだ。
ご老人のかたのしわも、素敵だ。しわには様々な経験がきざまれていて、その人物を深い味わいのある人間にしている。
そんな素敵なご老人のかたのお話は、たった一言 であっても、じんわり胸に染みることがある。感動する。時に心が救われる。そして「どう生きればこのような歳のとりかたができるんだろう」と思う。
女性にとって、歳をとることは悲観的なことととらえるむきもある。女性にとってのしわは大敵だと感じる人も多い。
確かに何歳になっても容姿が若々しくいたい想いも持っているが、それ以上に、しわの似合う魅力的なご老人に心を惹かれるのだ。
もし私が長生き出来るなら、もしおばあさんになってもバイオリンを弾いていられるなら、私は「しわのある音色」を出せるバイオリン弾きになっていたい。