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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2019 年 2 月
熱血先生

両親が他界した今、私にはしかし心の父と慕うひとがいる。
それは私が小学生1年から6年までの丸々6年間を担任として育てて下さった先生である。
慶応義塾の小学校は幼稚舎という。知らないかたは幼稚園かと間違われるが、幼稚園ではなく、幼稚舎という小学校だ。
この幼稚舎に入学した私は6年間を通じて担任と決まった中山理(ただし)先生に出会った。
熱血漢と正義感に溢れた先生で算数(数学)を専門とする素晴らしい先生だ。6年の間クラス替えもないので、先生は親のように、クラスメイトは兄弟さながらな信頼関係ができる。
中山先生は「何事も一生懸命にやる」「嘘はつかない」「友達を大切にする」「相手の気持ちを常におもいやる」など誠実であれと私達に熱く語って育てて下さった。
まだバイオリニストになるつもりのなかった私は中山先生の「好きなことをとことん努力しなさい」という教えを受けて、バイオリンを選んだのだ。
中山先生に出会わなければ私はバイオリニストにはなってなかったかもしれない。運命の出逢いだ。
まだ上手く弾けなかった私は、「不可能はない」 という中山先生の言葉を信じて努力を始めた。
例えば先生はある日、クラスのみんなに本縄で出来た縄跳び用の縄を配った。
普通に跳ぶだけではなく、二重跳び、三重跳び、後ろ二重跳びなど様々な難しい跳びかたを教えてくれた。
一生懸命練習する生徒はどんどん難しい跳び方をクリアーしていく。そして先生はこんなふうにおっしゃった。
「上手くなっていく友達の縄をみてごらん。床に叩きつけられた縄の部分が少しずつ切れてるでしょ。あまり練習してない人は縄がキレイなままだからすぐわかる。切れるまで練習すれば必ず難しい跳びかたが跳べるようになります。
すっかり切れてしまったら新しい縄跳びと交換してあげます」
私も、友達も、それから縄跳びを懸命に跳ぶようになった。
さてそのことを、私はバイオリンに当てはめて考えた。
そうか、努力すれば必ず 弾けるようになるんだ。どんなに難しいテクニックも、出来ないのは努力が足りないからだ。
私は毎日走ってうちに帰り、難しいテクニックを何百回と練習を重ねた。
日によっては千回の練習を重ねた日もあったが私は希望に燃えていた。
必ず出来る、という中山先生の言葉、縄跳びの縄が切れてどんどん上手くなっていく友達を見ていたからだ。
自分でも自覚する位に私は勢いバイオリンが弾けるようになっていった。その達成感、充実感を伴い、12歳になったとき私はプロのバイオリニストとしてデビューしたのだ。
さてそんな中山先生は、ご自身も実にチャレンジ精神溢れる人生を送ってらっしゃる。
日本以外に馴染みのなかった先生が、80歳を過ぎて、イギリスの高校の校長先生となり、日本を離れて行ってしまわれた。
一般には、70歳を過ぎた位から余生はのどかに、と考えるのではないか。
しかし中山先生は未経験の海外で、未経験の校長職として、迷わずご夫婦で決断されて日本をあとにした。
私達「中山学級の生徒」は口をあんぐり開けて驚き、そして惜しみ無い拍手で応援し、さすが我らが中山先生だ、誇らしい、と喜び、さらに我々ものんびりしてはいられない、頑張らないと!と口々に話し合ったのだ。

イギリスの先生を訪ねると、昔のままの誠実な先生が奥様と助け合いながら生き生きと頑張っていらっしゃった。