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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2019 年 1 月
船出・クルーズ


“飛鳥Ⅱ”船上より

新年、年明けには船出がふさわしい。
船の旅というと、私の場合、正直、荒れた海の怖さや船酔いが心配で、今まであまり気に止めて来なかった。
しかし数年前から、仕事で船に乗る機会を頂くようになった。いわゆるクルーズであり、ヴァイオリニストの私には縁の遠いものだと思っていたのであるが、だんだん慣れてくると「ああ、そろそろ船旅に出たいなあ」と思う。(いや正確には私は船旅というほどの長旅ではないのだが!)
クルーズといっても様々な旅がある。
数ヶ月かけてクルージングする世界一周から、数週間の日本一周や数日の気軽に楽しめるクルージングまで、その人のスケジュールによって選べる。
何よりもいいのは、時間の流れを変えることが出来る点だ。少なくとも私は日々バタバタと忙しなく走り回っているので、海上に出ると、強制的に休まるのだ。時間がゆっくり動き始める。
大海原をゆったり進む大型の客船は、地上とは別の時間軸が存在しているように感じる。
そもそも、7年程前に最初に乗った日本丸から始まり、最近では飛鳥Ⅱに何回か乗船させていただいて、船上でのコンサートを行っている。
船酔いが心配だった私だが、案ずるより産むが易しであり、わりと平気だ。心配な時には船酔い薬が効く。
特に演奏しているときには、演奏に集中するためか、どんな揺れもあまり意識になく、あとから船のスタッフに「乗組員も警戒するほどの揺れだったのに…」
と驚かれる…、いやむしろあきれたように半笑いで言われたことがあった。
大型豪華客船のツアーに参加して演奏する場合には、演奏日に合わせて私は途中から乗船しコンサートが終われば次の下船港でおりて地上の仕事へ戻る。それでも船旅のくつろぎは楽しめるのだ。
そんなクルーズで私が最も好きなのが船出である。
船が汽笛を鳴らしながら少しずつ離れていく、あの時間がたまらなく魂を揺さぶられる。地上では見知らぬ方々によるお見送りの歌や躍りが、その土地の風土に合わせて行われる。風に乗って聞こえる声や音、それが次第に風に流されて聞こえなくなるまで名残惜しむかのようにずっとずっと続けられる音楽、歌声や声、「さようならあ~!!」と声をあげながら大きく手を振る姿。
遠ざかる声は波の音に消され、心はプライベートな思いへ向けられて、少し前に起きた嬉しいことや悲しいことが走馬灯のように次々とよみがえってくる。
私が忘れ得ぬ光景は、母がなくなったすぐあとに乗船したときの船出だ。
青森から乗船した客船は、地元の祭りのお囃子で見送られた。太鼓に掛け声が、言葉では言い尽くせぬ切なさをよぶ。生きることと死に逝くこと、幼かった時の母との思い出や過ぎゆく時間、人生―。そしてこの先の私は―。
そんなことに想いを巡らせる時間って日々の生活の中にはなかった。
新年明けて、さあ、船が汽笛を鳴らしながら少しずつ動き始める―。