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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2018 年 12 月
クリスマスシーズン

クリスマスが近づくと、哀しみが沸いてくる。
いつ頃からかな。
かなり昔からのような気がする。
マッチ売りの少女の話を読んだ頃からかもしれない。だったらずいぶん幼い頃に染み付いた感情だ。
マッチ売りの少女ー。
なんて悲しい話なんだ、なんて可哀想な少女がいるんだろう、どうして誰も助けてあげられないのかな、と。
寒くて凍えそうな夜空の下で、ボロボロの服をまとった少女はうずくまってマッチを擦る。その小さな火で温もりを得ようと。ーー。

さて小さい頃、クリスマスに我が家ではみな集まって食事をした。両親、兄二人、祖父母に愛犬、親戚のファミリーもが集まると、何もなくてもただ温かく、幸せだった。ちょっとしたことでみんな大きな声で笑った。
母が得意料理を振る舞う。チキンを3羽も丸焼きにして、みんなでわいわいキャーキャー言って食べた。そんな時にもふと暗い窓の外を見て、マッチ売りの少女の話を思い出した。
中学生になり高校生になり、母はどんなに忙しくてもクリスマスにはチキンの丸焼きをテーブルに並べた。
大学生になり友達と、クリスマスにはどう過ごすか話すときにも、きれいにイルミネーションで飾られた町並みをボーイフレンドと歩くときにも、特別におしゃれしてクリスマスディナーを食べにいくときにも、どんなときにも、あの少女は私について回った。
悲しい目でマッチをする凍えた少女…、とたんに私はすべての行いが罪悪感に代わったのだ。
私が大学を卒業したころからは、大好きな祖父母は次々に他界し、愛犬は天へ登り、兄たちも家にいなくなっていった。学者の父はいつも時間を惜しんで勉学に励み教鞭をとり、講演会に出掛けていた。
なので私がクリスマスに演奏会が増えていくと、母は寂しそうにポツンと独り、家にいた。
昔から使っている大きなテーブル、みんなでワイワイ囲んで賑やかだったそのテーブルに、母は焼き終えて既に冷めてしまったチキンの丸焼きを置いて、私の帰りを待っていた。
マッチ売りの少女も可哀想だけど、そんな寂しそうな母を見ると胸が痛んだ。
そのうち母は、私の演奏会やボランティア慰問コンサートについてくるようになったのだ。
母はサンタクロースの衣装を自ら用意して、私の演奏に合わせて踊った。客席に笑いが起こり、母も嬉しそうにますますおどけてみせた。ハーハーゼーゼー、懸命に自己流の躍りを舞いながらたまにふらつく母を、あれっ?と思い始めたのはそれから数年してからだ。
サンタクロースの帽子の下で白いつけ髭に隠された母の顔は、真っ赤に火照って息も荒く、母が心臓弁膜症だということを私が知ったときには既に悪化していたー。
今私は、クリスマスシーズンに演奏会で様々な方に演奏を聴いていただける。
それが私の幸せである。
きっとこの寒い夜空の下で、どこかに寂しい目をしたマッチ売りの少女がいる。それを感じると、私はたまらなくヴァイオリンを弾きたくなる。