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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2018 年 10 月
ヴァイオリン仕様の人

あまりにも夢中になってヴァイオリンに相対(あいたい)している自分を、不思議にさえ思うときがある。たまに俯瞰(ふかん)でとらえてみると、嗚呼、随分変わった人間になっちゃったんだなあ~、と。

いつからだろう、こんなふうになったのは。
やはり、デュランティが来てからだ。

2002年にストラディバリウス・デュランティが突如現れてから、私は見るみる、「デュランティ仕様の人間」に作り替えられて行ったようだ。
始めは気がつかないうちに、徐々にそんな思考回路になっていって、気がついた時にはすでに私の身体も心も、改造されはじめていた。
それまでの私だってもちろん、ヴァイオリン漬けの人生ではあった。が、「普通に」「クラシック演奏家にありがちな」懸命にヴァイオリンに励む「いちヴァイオリニスト」だったのだと思う。時には他の話題にも耳を傾け、目をやり心を向け、趣味を持とうかなと考えたりする自分も、その時はいた。友達とショッピングに行ったり、食べ歩きや恋ばなに楽しんだりした。

でも今は、とにかく時間がもったいない。人生100年と言われる時代ではあっても、ひとの寿命は誰にもわからない。果たして自分はあとどのくらい生きてヴァイオリンを弾けるのかな、と最近よく考える。いつ人生が終わっても悔いないように、と思うと、ますますデュランティとの時間を密にしたいと心から願う。
どんな理由で人生が終わるにしても、その瞬間まで精一杯デュランティを弾きたい。本当に私はこのストラディバリウスに恋してるんだなとつくづく思う。
何か食べるにしても、「デュランティを弾きこなすための身体造り」を念頭に口にものを運ぶ。「美味しいものを食べたい」と思っても「ヴァイオリンを弾くために必要なもの」にしよう、と考えを変える。
水泳、ジム、ウォーキングやヨガなども、演奏するためのトレーニングだ。演奏に必要な筋力を高め、不必要なものは削ぎ落とし、持久力を鍛える。
朝起きて、まずその日一日をどう過ごせば一番能率良くデュランティのために過ごせるか、考える。それがまた、楽しい。

そう、全てはデュランティのために私は生きている。それが何より幸せなのだから仕方ない。
恐らく、他人からみたら、異常な生活なんだろうなあ。でもいいや、私の人生だ。
そのようにして立つステージは一番嬉しい時間だ。
幸福の絶頂と非日常的な緊張感、時空を超越した音楽世界に魂が奪われていく恍惚感で埋め尽くされる。
自分の演奏したい音楽の理想は、しかし、蜃気楼のように近づいたかと思えばスッと遠のき、理想の演奏に追いつけない自分自身に毎回落胆する。
なのに今日もまた、蜃気楼に向かって身体を鍛え、栄養を摂取し、ヴァイオリンに向かって研究を重ねて、デュランティのために修行する私です!