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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2018 年 9 月
異常気象

春夏秋冬、季節の彩り、春から夏へ、秋から冬へ、移ろいゆく季節のはかなさと美しさ。
その情緒が芸術を生み、文化が育まれた。
ヴィヴァルディの「四季」にしても、四季折々の鮮やかな光景が素晴らしい。日本の歌に出てくるメランコリックな風情にも、細やかな描写がそれぞれの季節を、愛しくさえ感じてくる。まさに大自然のダイナミックでありながらも細部に魅せる繊細な美しさの産物だ。
なのに近年の異常気象はなんたることか、と絶望的だ。世界中至るところで、想像をはるかに超えた破滅的な自然災害によって、多くの尊い命が失われている。痛ましく、悔しく、悲しい。

コンサートをするにも、ツアーに出るにも、楽器を守るのに今や必死である。
いや、それどこれか、生きるのに必死、だ。
ただでさえた温度と湿度に敏感な、ストラディバリウスを筆頭とするオールドヴァイオリンは、逃げ場を探して震えているような気がしてかわいそうだ。
それもこれも、私たち人間が、便利な文明に走りすぎた故の結果ではないかと反省する。
そう、便利なことがそんなにいいか、と最近は考えこんでしまう。

空を見上げて時折思う。
この、広くて果てしない宇宙空間の中にポツンと浮かんでいる、「美しい星」我らが地球。この大切な大切な地球をどんどん汚してきてしまったのは私たち人類である。
オゾン層が破壊されてもなおかつ、人間という生き物は便利であることを追い求める。地球が悲鳴をあげて、助けを叫んでいる。
もし、宇宙から何者かが見ていたら、きっと不思議に思うに違いない。人類は時に互いに殺し合い、自分たちの住む地球を痛めているのだから。
もう気がつこうよ、もうやめようよ、美しい地球を取り戻そうよ、みんなで努力しようよ…。

ストラディバリウスが製作されていたころは良かっただろうな。
300年前の地球、遠い昔のようにも思うが、宇宙規模で考えれば、なんだつい最近だ、と感じてくる。
バッハやヴィヴァルディが素晴らしい作品を残し、芸術は栄え、ストラディバリウスは文化遺産を次々と製作した時代、きっと不便なことが多かったに違いない。
でも、不便だと判断するのは現代に生きる私たちの思い込みじゃないかな。その時代時代で、それらは当たり前で暮らしていたわけだから。

う~ん、いったん便利であることを経験してしまった私たちが逆行するのは、確かに難しいことかもしれない。
でもそうしようよ、努力してみようよ、と私は訴えたい。