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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2018 年 5 月
愛するガラケー

いまだにガラケーだ。
スマホは持ったこともなく、スマホにしたいとも思わない。ガラケー以外は何も持たない。
そう言うと、みんな驚く。あきれる。乾いたような笑いのあと、いったい何故そうなってしまっているのかと、理由と原因を探し始める。
私はただ、振り回されるのが嫌いなのデス。文明の力(りき)に。
スマホにとりつかれたような人、ひと、ヒト。
食事中も歩行中も、誰かと話しながらも、寝る寸前までも、どんどんスマホ中毒化する学生たちの姿をみるとゾッとする。スマホがないと生きて行けないような人もいるらしいではないか。
そこまで取りつかれてなくても、見えない束縛に何か大切なものを奪われてはないかな?
で、私は、ガラケーから一歩も動かないぞ、と決めた。こんな人がいてもいいでしょ、という感じで。
そもそもクラシック音楽に携わるヴァイオリニストである私は、200年も300年も昔に作曲された音楽を勉強し、理解し、研究し、愛し、演奏している訳でしょ。300年前に作られた文化遺産的な楽器に羊の腸を加工した弦を張り、馬の尻尾に松のヤニを塗りつけ、弦をこすっているんでしょ。
ステージではマイクを使わずに生音を皆様に聴いていただいてる。空気を伝わる音の振動を五感で感じていただいてるのだ。文明の発達より、文化遺産の保護に趣をおきたいのだから、時代に逆行しようとさえ思う。
さて、こうやって時折原稿を書くのもガラケーである。もちろん。
どんなに長い文でも、ガラケーで書く。(実際に本1冊書き下ろしました~。ヤマハ出版「ヴァイオリニスト20の哲学」)
電話も、むしろ固定電話の時代が愛しい。
携帯が当たり前になってからは、繋がらないほうがおかしくて、携帯が鳴ってもでないと、相手にはどうしたんだ!?と思われる。それは心の束縛に繋がってるんじゃないかなとも思う。ラインなんかもっと束縛的なのではないかしら?知らないけど…
昔むかしの黒いダイヤル式固定電話が私は好きだった。ダイヤルを回す感覚、ダイヤルが回る音、「1」は短くて「0」を回すとダイヤルが戻るまでにとても時間がかかる。その間、様々な感情がうごめいて、気持ちが変わって電話をするのをやめ、受話器を置いたりする情緒…。相手が家にいないと、誰もいないガランとした家にいつまでも響き渡る呼び鈴を想像したりする切なさ。
待ち合わせを誰かとしても、相手が遅れると、会えるかどうか不安になる。
相手がこちらに向かって急いでるのかなといろんな想像をしながら待つ。
そういうのが、いいんだ。
私は、パソコンも持たない。家にもない。
何か調べる時には色々苦労する。苦労しながら別の資料を見て新しい発見もある。
そんなのが、いい。
だから私はずっとガラケー、ガラケーを愛す!