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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2025 年 11 月
バッハ

ヴァイオリンを携えてステージに立つこの50年、節目節目にあった作曲家はバッハだ。

12歳のデビューのとき江藤俊哉先生と弾いたバッハのドッペルコンチェルト、15歳の最年少優勝した時に私の運命を大きく方向付けたバッハの無伴奏ソナタ、20歳の時に挫折したきっかけとなったのは、やはりバッハの無伴奏が弾けなくなったからだし、その後30歳で自信を取り戻せたのもバッハだった。
20歳でヴァイオリンを弾かない時期を経て、2年後再デビューしてからの苦しみの7年、というのが私にはある。ステージで思うように弾けない悪夢のような日々は、音楽の神様なのか?ステージに棲む魔物なのか?が『いっときヴァイオリンを手放した私』を許さなかったのだろうと感じていた。そんな辛い時期、長い7年間、もがいても抜け出せない”焦り”と”絶望”の底なし沼に沈みこんでしまった心に、ただ静かに寄り添ってくれたのもまたバッハだった。私は自分自身のために夜な夜な、ひたすらバッハを奏でていた。
バッハの深い祈りに慰められ、救われ、バッハの素晴らしさが心に沁みていった20代を経て心身ともに多少たくましくなっていった私は30歳になっていた。その頃、やっとステージでプロとしての感覚が戻って来たのだ。
長い長い真っ暗なトンネルを、バッハの導きを信じて見えない道を一歩、また一歩と足を前に出し、ついに見えて来た光だった。

だからこそ私にとってかけがえない作曲家といえば、まず第一にバッハなのだ。

あの時自信を取り戻すことができた私はその後、5年おきに、バッハ無伴奏ソナタ&パルティータ全6曲(一晩3時間)のリサイタルを行っている。
始めたのがデビュー20周年からなので、今年が7回目、となる。
毎回何ヶ所かで行うリサイタルだが、聴いてくださる方としても、なかなか、覚悟と体力?が必要かもしれない。
私自身、本番へ向けた練習といえば自分の内面と向き合う修行のような日々。心の中をじっと見つめ、自身の弱さを受け入れる日々だ。
本番当日、何もない広いステージの中央に立ち、目を閉じ、時空間を超えた感覚になると、徐々に感じられてくる真空状態、、、。
今年は11月に京都、12月に東京で全6曲リサイタルを行う。(加えて北九州では3曲選曲による普通の長さのリサイタルが11月)

たやすいリサイタルではない。
体力的にも精神的にも、とことん限界に近づく時、ゾーンに入る。
本番のステージに立った時、私の心に蘇るのはあの弾けなかった苦しみだ。ミューズか魔物か、右斜め上に気配を感じながらバッハの世界に今年も没頭する。