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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2024 年 9 月
無になろう

=使い終わった瓶の中に水を入れてよくゆすぐ。ジャバジャバ振って中をきれいにして、、、。=

頭の中をそんなイメージで時折きれいにリセットさせたい、と思う。
なので私は「何も考えない努力」というのを今も続けている。
「無」になる努力。
これまで、このエッセイにも度々書いてきたが、泳ぐこと、歩くこと、何か単純な作業を黙々と行うことが頭の中を空にできることだとわかってから、色々試している。
お料理もそのひとつだ。
黙々と玉ねぎを薄切りにする。
玉ねぎ丸ごと二つ分位、薄切りにしたら黙々と弱火できつね色になるまで炒め続ける。玉ねぎはだんだん柔らかく、小さく、少なくなっていき、だいぶ茶色になるといよいよ水を足してスープにする。味付けは控えめのお塩だけ。ヘルシースープが出来上がると同時に、かなり頭の中がスッキリしているのにも気がつく。
人参も千切りにする。一本丸々。
人参は生なものは硬いから玉ねぎより少し慎重に時間がかかる。全部切り終えればお酢とお塩で少し揉み込んで出来上がり。大根も同じように千切りにしておくと1〜2日サラダとして便利だと思う。
頭の中がごちゃごちゃしている時に、玉ねぎや人参がたまたま冷蔵庫に無ければ、とにかく冷蔵庫の中の野菜を残飯整理!&頭の中をさっぱりさせようと、大きめのフライパンでとにかく炒める。少し余って冷蔵庫の奥に隠れているような人参の端っこや、えのき茸、キャベツ、ブロコリー、ネギ、しようがなどの全て食べてしまわないともったいない、というグループ、、、。
炒めながらコレをどうしようかイメージで料理する。卵を加えて塩胡椒で単なる野菜炒め。水を足してカレーにしてしまうか。酒、みりん、醤油で味付けして煮物風。自分流創作料理として、結果失敗してもちゃんと責任とって食べることがマイルール。どんなに不味くできても残さないことと決めると、なんとかしようと最後までもがく。それが
結果、日常のうやむやで頭の中がこんがらがっている時にとてもいい効果をもたらす。
卵好きの私は小さなフライパンで薄ーく卵を焼く。出来る限り薄く、均一に。焼き終えたら重ねて、今度は細ーく切る。出来るだけ細く丁寧に。そして錦糸卵が出来上がると、なんか嬉しい小さな達成感と共に頭の中もふわりと軽くなる。

水泳で無になれるのはもちろんのことであり、1キロほど泳ぐ時に何往復か数えることが、良い。
1キロだと20往復、泳ぎながら「5、ご、ご、」と頭の中で数字を唱えながら泳ぐので他のことは考えられないのが良い。数が多くなって来ると私はその年齢の頃の想い出を想い出したりしている。
「12、じゅうに歳、デビューした歳、希望に満ちていたなあ、何も怖がらなかったなあ」「19歳、大学一年生、母と喧嘩しちゃったなあ、大学の講義に興味あったなあ」など、、、。

通ってるジムに、スタジオ教室がある。そこでは自由に参加できる様々なスポーツ教室があり、私は時折ヨガに参加させて頂く。
何年か前からたまに参加するヨガ、初心者の域をでない私であるから、難しいことはできない。ヨガの先生のポーズに思わず感嘆の声を発したり拍手したり、、、自分でもちょっとやってみたりするが、大抵出来ないのだが、そうやってならないことに対面する時間も、頭の中は日々埋め尽くしていた雑事を追い払うことになる。だからスッキリするのだなあと実感する。
様々な工夫は楽しんで行うのがコツだ。自分流の「無になる時間の作り方」あとはどんなことがあるかな〜。