私の初めてのレコーディングは23才の冬だった。憧れのウイーン「コンツェルトハウス」コンサートホールでの録音、共演は、ウィーン交響楽団、指揮者はデイビッド・シャローン。
曲目はメンデルスゾーンとチャイコフスキーの2大コンチェルト。
半永久的に残るものだから、と取材や打ち合わせの会話の中で何度も何度も話題に出た。
残る嬉しさと共に瞬時に出した音がほぼ永遠に残るという事実が心にしっかり定着し、残ってしまう怖さを感じはじめていた。
コンサートとは真逆と言えるレコーディング。
コンサートは毎回、その日の共演者、ホール、観客、自分のコンディションと楽器のコンディションなど、様々な条件が絡み合ってその時にしか出せない音が生まれ、その時にしか出来ない演奏が展開する。自分でもわからないステージの上での演奏はとてもワクワクすることでもある。
しかし、レコーディングは違う。
その瞬間に出した音が残る。
弓の圧、ビブラートの大きさ、感情の起伏の出し方や、一方で何気なく出してしまったその音まで、永遠に残る。
初めてのレコーディングで、オーケストラの前に立つ私。目の前にある小さなスピーカーから、ディレクターの指示が聞こえてくる「真理子ちゃん、そろそろ始めましょうか。気楽にね」
気楽にと言われても…最初の1音、それさえも「あ、違う!出したい音色ではない!」そう思って引き直す。
出したい音色、それはどんな音なのか?例えば、音が出た瞬間に状況が展開されるような音。その作品の物語が始まる音。しっとりと心が震えるような感動を持って、聴いてくださる誰かに、その心にそっと触れることのできる優しい音色。
その1音が出したいのだ。
そうか、私はまだまだ、出したい音が出せる演奏家ではないのだ、と自分に絶望感を抱いたものだった。
あれから約40年たった今、来年私はデビュー50周年を迎える。
その50周年に向けてのレコーディングは、レコーディングデビューの時と全く同じカップリングのコンチェルト。そう、メンデルスゾーンとチャイコフスキーの2大名曲コンチェルトしか考えられなかった。
23才の私とは違う。
出したい音色がある。
その音色を出すためのテクニックも、心のあり方も、研究してきたつもりだ。
伝えたい思いが湧き出てくる。
残したいメッセージを抱いてる。
そして私は、いよいよ素晴らしい仲間を得て、その瞬間のデュランティの声を、未来へと瞬間冷凍することができた。
日本フィルハーモニー、交響楽団のメンバーと、岩村力さんによる指揮。
何回も何十回も共演してきた仲間。心から信頼できる仲間を得て、レコーディングは予想よりかなり順調に進み、現在の私自身が奏でるストラディバリウス・デュランティの音色を十分に収録することができた。
もちろんこの40年間の間、ほぼ毎年レコーディングを行い、様々なコンチェルト、様々なソナタ、そして多くの名曲小品集をCDにしてきた。
その中で、私はレコーディングが大変好きになった。
その瞬間の自分のエスプリを、純粋に解き放すだけで、その思いも時間も空気も、そして音も、瞬間冷凍されていく喜び。
音楽に対する熱い思いを貯めて、貯めて、心の底から湧いてくるエネルギーをデュランティに歌ってもらう。懐かしくて、暖かい悲しみの歌を、我が愛器は艶やかに歌ってくれた。この音が皆さんの手元でとき放たれるのを、私は心待ちにしている。