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Essayエッセイ

エッセイ「心の音」

2021 年 9 月
マスク

マスク生活が始まって、今年が終われば2年が経ってしまう。
私たち日本人は諸外国の方々に比べればマスクに慣れている方で、マスクをすることにそんなには抵抗はなかったが、まさかこんなに四六時中、起きている時間はずっと、365日休みなく、食事をする時にも、ヴァイオリンを弾く時にも、ジムで運動をする時も、、、とは!
最近、10代以下幼い子供ほど「マスクをするのは当たり前で、下着をつけるようなもの。マスクをしないで外に出るなんて、恥ずかしくて出来ない!」という子が多くなってきているらしい。なるほど、生まれてきて間もない子供ほど、物心ついた時には当たり前のようにマスクをして生活をしているわけだ。マスクをしないと大人たちに指摘され、マスクを外すことはよくないことだという認識が生まれる。
もしコロナが収まっても、幼い子供たちの間で自然にマスクを外した生活が、果たして始まるのか否か?
私自身も、マスクをすることが日常化されてきている今では、マスクを忘れて玄関を開けた瞬間、ドキッとして、何か重要な忘れ物をするところだったショックを軽く受ける。
そしてたまに、忘れたまま近所のコンビニに入ろうとした瞬間思い出して、これはもう大変な犯罪を犯したような罪の意識が生まれ、口と鼻を持ち物で覆い隠し、下を向き、こそこそと急ぎ足でコンビニのマスクコーナーに直行しマスクを手に取り、ペコペコあやまりながらレジで会計をしてもらい、購入次第素早く顔につけてやっと、ホッとする。で、肝心の買いたかったものを忘れて帰宅してしまったりする!なんか、一日のエネルギーを全て使い果たしたほどの体力と精神力が、奪われる。

 マスクをしていると、お互いの表情が分からないのが一番寂しい。この頃私は、目の表情を極端にクシャクシャにする事によって、「私は笑ってます」というメッセージを相手に伝えようと努力している。逆に、相手の方がマスクをして立っているだけで、なんか怒ってるのかなぁとか、不機嫌なのかなぁとか、要らぬ心配がよぎったりすることもたびたびある。
人はこれほどまでに互いの表情を繊細に汲み取り、表情から互いの心のあり方を読み取っていたものなのだなぁとつくづく感じている。
ただ単に、笑ってるとか怒ってるとかだけではない。
私たちは無意識のうちに、例えば相手の頬の微妙な緩みや緊張、口元の筋肉が一瞬動いた事によって想像できる反応、何かを言い淀んでやめた心の中、悲しみをこらえて何かを決意している時の表情筋の細かな動き、こちらの言葉によって一瞬反応した相手の感情を鋭くキャッチしている。
言葉にしない事、言葉には出来ない事、言えないけど伝えたい想いなど、大切な心の中ほど、私たちは表情で伝えようとしてきた。

友達との、或いはパートナーとのコミュニケーションも、手に触れ、肩に触れ、互いの顔を見合い、その表情を読み取る事で成り立つような、「言葉に出来ない会話」もある。
それが出来ない昨今、希薄になっていく心と心の交わり、気がつかぬ間にストレスとなりカサカサになってしまう社会。
憎きコロナ禍の生活は、まだもう少し続きそうだ。
表情を相手に読みとってもらえない代わりに、もしかしたら私たちは、考えているよりもっと丁寧に言葉を選び、今までは言い淀んでいたような表現を言葉にする努力が必要なのかもしれない。