ヴァイオリニスト、千住真理子の公式サイトです。

エッセイ「心の音」:2018年11月

2018/11/1

「福島の原発被災者」

2011年の東日本大震災以来、日本は数多くの震災に見舞われてきている。
至る場所で頻発する大地震で山崩れや家の倒壊、「今まで経験したことのないような豪雨」で川が氾濫し、巨大台風で車も家も飛ばされ、橋は壊れ、竜巻が発生…。亡くなってしまった犠牲者の方々、住む場所を突如奪われ明日もわからぬ被災者の方々、大切な人を失って呆然とたたずむ方々…。こうしてる今も、また次なる大災害がくるのではないかと怯える私たちだ。
毎年訪ねる東北の、2011年東日本大震災の被災者は、といえば、まだ復興途上であり、遅々として進まぬ現場もあり苛立ちさえあるときいた。だが、東日本大震災は「もう終わったもの」とされてるのだ、と被災者はこぼす。
その東日本大震災では大地震のあとに来た巨大津波が残酷な被害をうんだ。20メートルを上まわる津波は頑丈な鉄骨のビルまでもなぎ倒した。更に追い打ちをかけたのが、原発事故である。多大なる被害をうみ、原発事故は実際まだ解決も見ないまま、未だ苦しみ続ける被災者の方々が沢山おられる。
その原発事故で線引きされた立ち入り禁止区域。最近になってやっと少しずつ解除される区間が出ると、帰る人、帰れない人…。複雑な事情を抱えながらもなんとか戻ってきた方々、学校、病院。まだそんな段階だ。

私は10月、ボランティアでその被災者のもとを訪ねて回った。
特に今回は、浪江町や飯舘村のほうに足を運んだ。2万人いた居住者は800人に減り町は閑散としている。
それでも故郷を愛する方々の「なんとか昔の私たちの町を取り戻したい」と願い奮起する姿がある。
立ち入り許可により戻ってくる方々がいる一方で、想いは募っても戻れない方々もいる、という切ない状況からか、「割れてしまったお茶碗はどんなにしたってもとには戻らんからなあ」と呟く声を聞いた。

こんな話も聞いた。

巨大地震で倒壊した家に押し潰され助けを待つ人々は多くいました。
消防隊員たちは、くまなく助けようと無我夢中になり、結果、自らが津波に飲み込まれて亡くなった消防士も少なくないです。
更に悔やまれるのは原発なんです。
3月11日に地震がおこり、12日の朝には原発による放射能漏れで避難命令がでた。
まだ助けを待つ住民がそこにいるのに、助けに行くことが出来ない。突然立ち入り禁止区域になってしまった場所に、人が居るのに。誰かの親や兄弟や大切な人が助けを待ってるのに。
助けられたはずの命を、助けることが出来なかったという無念…。今でも悔しさがこみ上げてくるんです。

 
震える声を聞きながら、丘の上に立ち海を臨む。目の前にある犠牲者の碑には数えきれないほどの名前が連なっている。
私は声も出ず、唇を噛み締める。
今は静かな海が眼下にある。海を左に見て、すぐ向こうに福島第一原発が見え、右側には不自然に何もない空地が広がる。この空地にひしめく住宅街が拡がっていたのだ。助けを待つ人々がいたのだ。
いま、学校に戻ってきた子供たち、病院に寄り合う人々、私はただただヴァイオリンを弾いて回る。その心に寄り添いたいという想いで奏でるバッハ、モーツァルト、クライスラー、日本の歌…。

耐える被災者の悲痛な想いを胸に、夕暮れの列車で帰路についた。